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2008年12月26日 (金)

珍説・奇説の邪馬台国…⑨「阿久根」説(張明澄)

「魏志倭人伝」は、漢文で書かれているので、その解読はネイティブの中国人が有利であると考えられる。
実際に、以下のように、多くの中国人による解読が行われている。
張明澄『誤読だらけの邪馬台国』久保書店(9207)
孫栄健『邪馬台国の全解決』六興出版(8205)
謝銘仁『邪馬台国 中国人はこう読む』徳間文庫(9003)

ところが、これらの中国人の読解が一致しているかといえばそうではないので、ややこしい。
有名な「水行十日陸行一月」についても、張明澄氏は、「水行すれば十日、陸行すれば一月」と読むのに対し、謝銘仁氏は、「地勢によって水行したり陸行したりを繰り返した結果であって、十日や一月は、天候や休息、占いによる日程調整などを含めた数字だと解している。

張明澄氏は、WIKIPEDIAで次のように紹介されている(08年11月20日最終更新)。

張明澄(ちょう めいちょう、日本名:小島聖一、1934年3月20日 -2004年11月1日)は、漢学、経済学、中国医学の研究家であり、雲門禅、東派仙道、南華密教、明澄透派の継承者でもある。特に「熱寒」分類による中国医学と、「五術」を日本に伝えたことで知られる。なお、五術家としての名は張耀文と称する。
著書に『誤訳・愚訳 漢文の読めない漢学者たち』『間違いだらけの漢文』 『中国漢方医学体系』『傷寒論の世界』『髪がイキイキ漢方療法』 『密教秘伝西遊記』 『誤読だらけの邪馬台国』『周易の真実』 その他多数がある。

張明澄氏は、文献に沿った解釈をすると、どこを邪馬台国として指しているか、という観点で邪馬台国の所在地を推論した。
つまり、邪馬台国が本当にどこにあったかではなく、「魏志倭人伝」は、邪馬台国がどこにあると書いたか、というように問題を設定した。
「魏志倭人伝」が正しい記述をしているのであれば、そこが邪馬台国である、という立場である。

張氏の推論は以下の通りである。
帯方郡から邪馬台国まで一万二千余里(A)
帯方郡から倭の北岸、対馬国、一大国、末廬国までの距離が計一万余里(B)
末廬国は、佐世保市
(壱岐から一海を渡ること千余里、末廬国に至る。通説は、末廬を呼子町としているが、それだと六百余里程度であり、かつ南に水行も陸行もできる場所を求めると佐世保になる)
邪馬台国までは、末廬から南に向かって<A-B=二千余里>の場所で、末廬国から水行すれば十日、陸行すれば一月の場所

2上記の条件で、張氏が比定したのは、鹿児島県阿久根市であった。
張氏は、水行十日、陸行一月を帯方郡から邪馬台国までの距離とみなす(例えば、古田武彦氏)のは、漢文的にあり得ないという。
出水(イズミ)のズミや邪馬(ジャマ)に通じ、台は高い地の意味で、阿久根の東の出水山系をさしている、というのが張氏の指摘である。

岩田一平『珍説・奇説の邪馬台国』講談社(0004)によれば、地元では、張氏の著書はベストセラーになったが、阿久根に邪馬台国があったということは、さほど信憑性をもって受けとめられていないらしい。
まあ、全国にいくつもの候補地があるのだから、町おこしに役に立つなら幸い、という感じらしい。
ただし、阿久根の名産ボンタンは、文旦と書き、謝文旦という中国人に由来するのだという。
謝文旦は、難破して阿久根に漂着した船の船長で、阿久根港に避難して世話になった御礼に、ボンタンの実を贈ったことが、阿久根のボンタンの始まりだという。
阿久根沖は、海上交通の難所で、難破する船も多かったらしい。
そういうこともあって、阿久根と中国大陸とはネットワークがあった、と考えられる。

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