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2008年12月 4日 (木)

邪馬台国に憑かれた人…⑤菊池山哉と「天ノ朝」論

菊池山哉についてのWIKIPEDIA(080522最終更新)の紹介記事は、以下のようである。

菊池 山哉(きくち さんさい、1890年10月29日 -1966年11月17日)は東京府出身の郷土史家、土木技師、政治家(東京市会議員)。本名、菊池武治。
部落史研究としては被差別部落民を異民族起源とする説を唱え、賛否両論を呼んだが現在この説は退けられている。

私の生まれ育った静岡県などでは、「部落」という言葉は、単に集落を意味するだけだった。
だから、被差別部落のことについては、例えば島崎藤村の『破戒』などを通じて知ってはいたが、現実に深刻な問題として受け止めたのは、京都の大学に入ってからのことだった。
菊池山哉は、東京府中の生まれで、工学院大学の前身の工手学校に入学し、卒業後東京府の技手になった。
八王子方面の担当になって、山奥の集落を、人々が「筋が違う」といって毛嫌いしていることから、被差別部落の問題に関心を持つようになった。

菊池は、関東各地の村々を訪ね、被差別部落の研究を続け、大正12年に『穢多族に関する研究』を刊行したが、直ちに発禁になったという。
菊池の被差別部落に関する基本認識は、次のようなものであった。
現代の日本人の祖先は、縄文時代人である。その縄文時代以来の日本原住民の東北の蝦夷が、大和朝廷によって征服され、その俘囚が日本各地に配流された。それが被差別部落の端緒である。
言い換えれば、差別されてきた人々こそが、純粋な日本原住民ということである。

部落問題は、現代社会においても重要なテーマであるが、被差別民や、その集住地である被差別部落の起源に関しては未だに定説がなく、論争が続いている。
明治4(1871)年に、明治政府によって、「穢多非人等ノ稱被廃候條 自今身分職業共平民同様タルヘキ事」との布告(解放令)が出されたが、多くの村々では、村民が穢多非人と同列に扱われることに抵抗を示し、解放令発布直後から、2年以上もの間、解放令反対一揆が続発した。

部落解放運動は、反体制運動と密接に関連してきた。
大正デモクラシー期に、被差別部落の地位向上と人間の尊厳の確立を目的として、大正11(1922)年3月3日、全国水平社の創立大会が、京都市の岡崎公会堂で行われた。
結成メンバーは、西光万吉、阪本清一郎、駒井喜作らで、日本最初の人権宣言といわれる水平社創立宣言が採択された。
宣言には、「人の世に熱あれ、人間に光りあれ」「全國に散在する吾が特殊部落民よ団結せよ。吾々が穢多である事を誇る時が来たのだ。」と謳われた。

1917年にロシア革命が起きた直後であり、社会主義運動が、部落解放運動に大きな影響を与えたことは、上記の宣言からも窺える。
しかし、昭和に入ると、ファシズムの台頭や内部分裂などによって、水平社の運動は下火になり、1942年1月20日に、消滅することになってしまった。
戦後、元水平社のメンバーなどにより、部落解放全国委員会が京都で設立され、1955年に部落解放同盟と改称した。
部落解放同盟をめぐっては、さまざまな論議があるが、ここでは割愛する。

邪馬台国問題に話を戻すと、渡辺一衛『邪馬台国に憑かれた人たち』学陽書房(9710)では、菊池の『蝦夷と天ノ朝の研究』や『天ノ朝と大和朝』という著書に記されている、「大和朝と天ノ朝の断絶」という主張に注目している。
「天ノ朝」とは、記紀神話の高天原であり、それは邪馬台国である、という認識である。

菊池は、高天原は、大和から遠くない場所だったはずだと考える。
なぜならば、神話の中で、神々は比較的自由に高天原と地上の間を往来しているようにみえるからである。
そして、高天原は「高海(タカマ)」であって、近江(オウミ:淡海)に通ずるのではないか、ということである。
つまり、「天ノ朝」は、近江にあり、そこが邪馬台国である。

菊池は、記紀神話に登場する人物を、「天ノ……」で始まるかどうかを基準として、「天ノ朝=邪馬台国」の人物か、大和朝の人物かが区分けできるとしている。
菊池は、『古事記』の国生み神話の記述の順序から、それが北九州からやってきた氏族の伝承であると考えた。
つまり、「天ノ朝」は北九州系であるということである。

垂仁紀や応神紀に、新羅の王子・天之日矛が登場する。
菊池は、天之日矛も、天ノ朝の人物であって、渡来人ではないとした。
渡辺は、天之日矛は、記紀の系譜では、田道間守の4代前の祖先であるから、垂仁天皇と同時代ではあり得ず、天ノ朝=邪馬台国時代の人物であり、その時代に渡来した後の新羅(当時は辰韓)地方の王族だったのではないか、と推測している。

第9代開花天皇の子・日子坐王は、神武以来の天皇家の家系の中で、「命」がつかず「王」と呼ばれる最初の人物である。
それを、菊池は、日子坐王は、開花天皇の子ではなく「天ノ朝」の人物なのだとする。
「天ノ朝」と天皇家とを関係づけるように改変されたのではないか、ということである。

伊勢神宮を建立したとされる倭姫命は、記紀では垂仁天皇の皇女で、母は比婆須比売命とされている。
しかし、斎部広成の『古語拾遺』には、倭姫王の母は狭穂姫となっており、渡辺は、伊勢斎王になった年齢の考証から、『古語拾遺』の方が正しいのではないか、と推測している。
そのどちらも、日子坐王の子の丹波の道の主の王の娘であり、倭姫命は、「天ノ朝=邪馬台国」の家系の人だったということになる。
それを、渡辺は、天照大神=卑弥呼を奉戴する資格があり、かつそうしなければならない運命だった、とする。
この辺りの論考は、いささか入り組んでいて分かり難いが、「天ノ朝=邪馬台国」と大和朝とが断絶しているという認識は、傾聴すべきであろう。

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