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2008年12月22日 (月)

珍説・奇説の邪馬台国…⑦「宇佐・別府説」説(富来隆)

邪馬台国=宇佐説は、多くの論者が唱えている、と言ってもいいだろう。
私の知る限りでも、推理作家の高木彬光氏、弁護士の久保泉氏と久保田穣氏、『邪馬台国の位置と日本国家の起源』新人物往来社(9609)という大著を著された鷲崎弘朋氏などがいる。
この宇佐説をいち早く提唱したのが、大分大学名誉教授の富来隆さんである。

宇佐八幡神宮は、全国の八幡神社の総元締めである。
2全国には約11万の神社があり、そのうち「八幡神社」が4万600余だという(岩田一平『珍説・奇説の邪馬台国』講談社(0004))。
つまり、神社の1/3は、八幡神社ということになる。
私は、子供のころ、八幡神社を遊び場としていたこともあって、神社の中でも「八幡さん」には特に、親しみがある。

その「八幡さん」の総元締めの性格は、それほど単純ではないらしい。
宇佐八幡神宮の本宮は、三柱を祭る三殿が並列している。
一之御殿に誉田別尊(応神天皇)、二之御殿に比売大神、三之御殿に神功皇后が祭られているが、八幡神の正体をめぐって、鍛冶神、海神、ハタを立てて奉る神、朝鮮半島の外来神ハルマン、渡来系秦氏の氏神、巨石崇拝等の諸説が唱えられてきた。

このような八幡神の複雑な性格の中から、比売大神の巫女としての性格を抽出して、卑弥呼と結びつけ、八幡(ヤワタ)=邪馬台(ヤマタイ)説を唱えたのが、富来隆さんだった。
富来さんは、東京帝国大学の文学部史学科出身で、『卑弥呼』学生社(1970)で、邪馬台国=宇佐説を世に広めた。
既に40年近くも前の記述になるが、同書の奥付の著者略歴は以下の通りである。

大正七年東京に生まれる。昭和十七年九月、東京大学文学部国史科を卒業し、史料編纂所員となる。戦後しばらく大分県臼杵高女に奉職し、ついで東京大学文学部大学院に入学。二十四年、父の死に会して、大分師範教授に奉職。ついで大分大学助教授となり、現在同教授(教育学部、社会学担当)。著書・論文としては、『社会経済思想史-物神性-』『邪馬台・女王国』などのほか、「日本史における地域性-西船・東馬-」「古代社会における聖地」「丹生・旧石器」「「海部考」「「社会理解の方法論的基礎」「など多数。いずれも、歴史社会学を指向したもの。

富来さんのもともとの研究領域は、中世の水軍、ことに豊後の緒方一族だった。
その研究のために、瀬戸内海の潮流や漁村の習俗などを調べているうちに、邪馬台国問題に足を踏み入れたということである。
富来さんの邪馬台国問題へのアプローチの方法は、「魏志倭人伝」を、できるだけスナオに忠実に、そして合理的に正しく読解しよう、というものであった。
その結果が、宇佐・中津平野を指向するものとなった。
「魏志倭人伝」の論理的な読解として、宇佐に至るというのは、弁護士の読解や高木彬光氏、鷲崎弘朋氏などがつとに主張しているところであり、富来さんはその先駆けと位置づけていいだろう。

宇佐神宮の南の駅館(ヤツカン)川の左岸堤にある弥生時代後期の別府(ビユウ)遺跡では、朝鮮式小銅鐸が出土している。
豊国(トヨノクニ)に渡来した秦氏が身につけていたのが、金属の採掘・冶金の技術だったといわれる。
福岡県田川群の香春岳にある採銅所から採掘した銅で鏡が作られ、それを宇佐神宮に納めた。
香春岳山麓の香春神社の祭神は、新羅の国から来た神と伝えられている。
香春岳から豊国にかけては、銅のほかに、鉄や水銀、錫、鉛、石灰などの鉱物資源が豊富で、水銀鉱床からは辰砂の結晶が採掘される。

気象学からアプローチして、邪馬台国大分説を唱えたのが、山口大学名誉教授だった山本武夫さん(故人)である。
山本さんは、朝鮮半島の古代史書『三国史記』から、異常気象の記録を抽出し、紀元1世紀から7世紀の古代において、100~250年のあいだ、東アジアが極端に冷涼な気候だったことを導いた。
倭国が大いに乱れて卑弥呼が共立されたのが184年ごろ、死んだのが248年ごろと推定されており、この寒冷期に一致する。
中国でも、220年に後漢が亡びて戦乱の三国時代になり、朝鮮半島でも朝鮮族が中国の出先機関を襲撃している。
これらの動乱の原因が、気候悪化であった、というのが山本説である。

山本説に基づけば、3世紀に寒さのきつい奈良盆地に、南方的な風俗で描かれている邪馬台国はあり得ない、ということになる。
その点、豊国は、今よりは涼しいが、米も作れれば、蚕も飼えるような気候条件だった。
4世紀にヤマト政権の基礎が固まると、卑弥呼の事績は神格化され、宇佐八幡に比売大神として祀られてもおかしくはない、というのが岩田氏の推論である。

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