珍説・奇説の邪馬台国…⑧「筑後山門」説(村山健治)
江戸時代に新井白石は、福岡県の山門郡を邪馬台国の比定地とした。
邪馬台をヤマトと読んで、九州内で音の通じる場所を求めた結果だと思われる。
京大系の学者は、内藤湖南以来近畿説が主流であるのに対して、東大系の学者は、白鳥庫吉以来九州説が多い。
山門は、九州説における有力な候補地として位置づけられてきた場所である。
ところが、上代特殊仮名遣い(08年2月10日の項、4月18日の項、19日の項、20日の項、21日の項等)からすると、大和の「ト」は「乙類のト」であるのに対し、山門の「門」は「甲類のト」であって、発音が異なることが明らかにされた。
つまり、邪馬台の音は、山門とは書かない、ということである。
しかし、中国人が、上代特殊仮名遣いを聞き分けていたのか疑問だとする意見もあって、決定打でもないようである。
山門の地名の語源は、「山が相対していて門のようになっているところ」から来るものと考えられ、地形を形容する普通名詞的なものだったようだ。
とすれば、山門をヤマトと発音したとしても、どこの山門か、ということが問題になる。
福岡県の山門郡は、伊都国や奴国として大方の異論のない博多湾沿岸部から50km程度の距離であり、旅行作家として有名な宮脇俊三さんは、「水行十日陸行一月」も要するはずがない、としている。
山門郡瀬高町の東北に、女山(ゾヤマ)という小山がある。
この女山に、「神籠石(コウゴイシ)」と呼ばれる遺構がある。
神籠石は、女山の山腹を囲む石列で、縦横数十センチの石が、延長3kmに及ぶ長さで繋がっている。
神籠石は、北九州を中心に、岡山から四国まで点在し、13ヵ所が確認されている。
誰が何の目的で築造したものか、未だ定説がないようである。
邪馬台国筑後山門説論者の元東洋大学学長の橋本増吉氏は、女山神籠石を、「魏志倭人伝」に、卑弥呼の居所が「城柵厳かに設け」と記述されているのと関連づけて捉えた。
岩田一平『珍説・奇説の邪馬台国』講談社(0004)には、橋本氏の下記の言葉が引用されている。
今日これを「女山」と呼んでいるのも、元来は九州訛で「女王山」といったのが、つまったのではあるまいか。
瀬高町の郷土史家に、村山健治という人がいた(故人)。
『誰にも書けなかった邪馬台国』佼成出版社(7810)という著書がある。
瀬高町太神にある「こうやの宮」という神社の木造の神像が握っている刀が、天理市の石上神宮にある七支刀と同じ形をしているという。
七支刀は、幹から6つの枝が伸びる形をしている。
金文字の象嵌が施されているが、一部が判読不能状態でよく読めないが、刀自体に七支刀と刻まれている。
『日本書紀』の神功皇后の条に、百済から七枝(支)刀が献上されたという記述があって、関連づけて考えられている。
村山氏は、七支刀を、「魏志倭人伝」に、魏から卑弥呼が239年に刀二振が下賜された、と記録されているうちの一振だと考えた。
神武天皇が東征の際に、タケミカヅチから賜わった神剣が七支刀で、神武天皇は邪馬台国王だった、というのが村山氏の推論である。
七支刀には、百済王という銘が刻まれていて、百済が成立したのが4世紀中ごろなので、239年下賜という村山説は苦しいが、魏を東晋に置き換え、神武天皇の東征を応神天皇の東征に置き換えることによって矛盾は解消する、というのが村山氏の考えだ。
応神天皇の出自については議論が分かれているが、九州から東遷したとする説も有力説の1つである。
筑後山門にあった勢力が、4世紀に東遷して河内に上陸し、一帯を占拠した。
最初に河内に上陸した王が、神武(応神)に擬せられた人物だった。
上記のように考えれば、村山説も整合性のある議論になってくる。
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