壹と臺の調査
「邪馬台国論争」の焦点は、もちろんその所在地がどこであったか、である。
しかし、その前提として、「邪馬台国」という名称が、「邪馬壹国」なのか「邪馬臺国」なのか、ということが問題とされたのだった。
「壹」か「臺」か。
古田氏と安本氏の討論においても重要な論点であったが、古田氏や安本氏だけでなく、古代史研究者やアマチュアファンが、「壹」派と「臺」派に分かれるという事態を招いた。
もちろん、圧倒的多数は、伝統的な「臺」派であったといえるだろう。
一方の、古田氏を頂点とする「壹」派の論者は、確信的な熱気において、「臺」派に勝っていたともいえそうである。
古田武彦氏は、『「邪馬台国」はなかった-解読された倭人伝の謎』朝日新聞社(7111)の「はじめに」に、次のように書いている。
偶然は、人を思いがけないところへ導くものである。
わたしは二十代・三十代を通して、夢にも思いはしなかった--古代史の草むら深くわけ入って、古い書物の中に書かれている、人のだれも通ったことのない道を通る、そしてある日、思索のもやが晴れ、突然そこに三世紀女王国の壮麗な都のありかを眼前にする--そのようなことがわたし自身におこるとは、およそ想像したこともなかったのである。
一方、安本美典氏は、『邪馬一国はなかった』徳間文庫(8809)の冒頭に、やはり次のように書いている。
私は、どうして、古代史の森にふみこんだのだろう。
私の大学での専攻は、心理学であった。しかし、これまでに書いた本の数は、心理学関係の本よりも、古代史関係の本の数の方が多いほどである。
……
私は、大学における数年の専攻で、その後一生の専攻が決定されるとは思わない。またいろいろなことに、興味を持ち続けたいと思う。まして現在は、学際的(interdisciplinary)な研究が、強く求められている時代である。
つまり、2人とも、古代史の研究は、当初の想定の外にあったということである。
しかし、その両者が、多くのファンを獲得するカリスマ的存在になるのだから、不思議なものである。
私は、古田氏の講演も、安本氏の講演も、それぞれ1回だけ聴いたことがある。
会場の雰囲気はかなり異なるところもあるが、両氏を師と仰ぐ人たち(それは、反対派に対しては厳しい姿勢となって現れる)の多さが印象に残っている。
古田氏は、親鸞研究において、親鸞や直弟子たちの自筆本について、真筆か偽作かと判断が分かれている場合、A教授が真筆と筆跡鑑定すると、A教授の系列の若い学者は、A教授の鑑定に従った論文報告を出し、B教授が偽筆と筆跡鑑定すると、B教授系列の若い学者は、B教授の鑑定に従う傾向があることを経験した、という。
まさに、東大の白鳥庫吉のあとを継ぐ九州説、京大の内藤湖南のあとを継ぐ近畿説、と大きく色分けされて学界を二分している。
これに対し、古田氏は、恩師の村岡典嗣氏の説いた「師の説に、な、なづみそ=先生の説にけっしてとらわれるな)」という本居宣長の言葉を、学問の神髄を示すものと考えてきた。
とすれば、東大VS京大というような学閥が顕在化している「邪馬台国論争」は、それだけで興味の対象になる、ということである。
そして、古田氏は、2つの「学説山脈」に分かたれているように見える「邪馬台国論争」に向かって、「蟷螂の斧」をふるってみようと決心した、と述べる。
そして、自らの邪馬台国問題に取り組む指針を、子供にもよくわかる簡明さと、文献の基礎部分を徹底的に追跡するという確実さにおいた。
その指針に基づき、紹熙本『三国志』全体の「壹」と「臺」を全部抜き出し、それらが、それぞれ「壹」と「臺」とを取り違えているケースがあるかどうかを検査した。
『三国志』の中に、「壹」は86個、「臺」は56個あり、「壹」の字は、倭人伝中の「邪馬壹国」(1個)と卑弥呼のあとをついだ女王「壹与」(3個)以外の82例については、一切「臺→壹」の誤記が生じていないことが確認された。
また、「臺」の字にも、「壹→臺」という誤記は全く起きていないことが判明した。
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