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2008年11月 8日 (土)

岡本正太郎氏の小林説批判…⑤文献改ざんと論理矛盾

岡本正太郎氏は、『「高松塚被葬者考」批判』(「古代文化を考える第20号」(8907)所収)において、小林惠子『高松塚被葬者考―天武朝の謎 』現代思潮社(8812)の次の文章(p21)にも、批判の矢を向けている。

大海人は(壬申の)乱後ただちに高市の軍勢を接収したと思うが、それを可能ならしめたのは唐人や新羅の外国軍勢であったと思う。郭務悰は天武二年(六七三)に大海人の即位を見届けてから帰国していると思われるからである。

小林氏は、大海人が吉野に引きこもる前から新羅と唐人にと新羅援軍を要請しており、それが大海人の勝利の大きな要因だったとしている。
そして、『日本書紀』が、郭務悰らの帰国を、大友(天武)元(672)年として記述しているのを、小林氏が、それは翌年のことであって、本当の天武元年である、としていることについては既に触れた(08年11月4日の項)。
この主張についての論拠は明瞭ではないが、この章の「結」の部分では、小林氏は次のように書いている(p55)。

壬申の乱そのものが、白村江の戦いの後、連合した天武と新羅文武王対、天智朝を応援する唐国との戦いであった。

つまり、小林氏は、壬申の乱について、唐(郭務悰)は、大海人を支援したと書く一方で、唐が支援したのは天智朝で、大海人と新羅が連合して天智朝を倒した、と書いているわけである。
小林氏は、郭務悰らを唐人と書いて、唐国とは書いていない。
したがって、唐国は天智朝を支援し、郭務悰ら(唐人)は大海人(天武)を支援したいう趣旨と解せないことはない。
しかし、岡本氏は、郭務悰は唐国を代表して来日しているのであり、それは皇帝の信書を奉呈していることからもそう理解すべきである、として、唐国・唐人別行動説を否定している。
そして、郭務悰の天武二年帰国説を、文献の無断改訂ではないか、と論じている。

壬申の乱については諸説があり、その一部はこのブログでも紹介してきた(研究史原因論争砂川恵伸説国体論との関係関裕二説林青梧説)。
研究史を総括した星野良作『研究史 壬申の乱・増補版』吉川弘文館(7801)では、国体論の呪縛が解けた戦後に本格的な研究が展開されてきたが、「明確な結論を得ていない部分が少なくない」としている。
現時点でも新しい視点に基づいた論考が発表されており、全体像については未だ確定していない、と考えるべきであろう。

ところで、天武2年8月条に次の記述がある。

耽羅の使人に詔して曰はく、「天皇、新たに天下を平けて、初めて即位す。是に由りて、唯賀使を除きて、以外は召したかはず。」

この部分を、砂川恵伸氏は、「天武は武力によって新王朝を創始したのだから、新王朝への祝賀使は受け入れるが、それ以外は受け入れない、と言っているのであり、天武には、易姓の意識があった」と解釈している(08年1月23日の項)。
この記載について、小林氏は、以下のように解釈している(上掲書p21)

ということは、即位以前の政情不安定な時には儀礼以外の使人、つまり外国の勢力を必要としていたと解読される。

岡本氏は、この小林氏の解釈に対し、天武は小国の耽羅に負担を掛けさせない配慮だとし、軍隊とは何の関係もない、と否定している。
岡本氏は、小林氏が何の根拠もなく文献改ざんし、「交戦中の唐と新羅の軍隊が、日本に来て天武帝の革命を成功させた」とする一方で、「唐は、唐の意志に反して日本国王になった天武を攻める意志を持っていた」というように支離滅裂な考察をしている、と厳しく批判している。

小林氏は数多くの著作を著され、特に日本古代史を東アジアの状況との係わりで捉えられ、通説にない発想で、そういう考え方もできるのか、と啓発されることも少なくない。多数の読者を擁するのも、その独特のスタンスによるものだろう。
私如きがどうこう言えるものではないが、ここで管見した範囲においては、確かに、天武と唐(郭務悰)の関係に関しては論理矛盾だし、『日本書紀』の読解も他の人には論理的な検証が不能ではないか、と思われる。
岡本氏が、文献改ざんと批判するのも的を射ているのではないだろうか。

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