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2008年11月22日 (土)

帰無仮説-「否定の否定」の論理

古田武彦氏は、「邪馬台国問題」を追究するに際し、『三国志』のいわゆる「魏志倭人伝」において「邪馬臺国」という表記ではなく、「邪馬壹国」という表記になっていることに着眼し、この「壹」が「臺」の誤記であるかどうかを検証しようとした。
そのために、紹熙本『三国志』全体の「壹」と「臺」を全部抜き出して、それらが、それぞれ「壹」と「臺」とを取り違えているケースがあるかどうかチェックした。

『三国志』の中に、「壹」は86個あった。86個から、「邪馬壹国」(1個)と卑弥呼のあとをついだ女王「壹与」(3個)を除くと、計82例があったことになる。
また、「臺」は56個あった。これらの82個の「壹」と56個の「臺」の字について、壹を臺に、臺を壹に取り違えた事例は皆無であった。
だから、「邪馬壹国」という表記は、誤記の結果として記されたものではない。
古田氏の推論は、以上のようであった。

ところで、この推論は正しいものと言えるだろうか?
私は、「古田氏は、『「邪馬台国」はなかった-解読された倭人伝の謎』において、『三国志』全部の「台」と「壱」について統計をとった。いわば悉皆調査である。」と書いた(11月19日の項)。
全部の「壹」と「臺」を対象にしているのだから、悉皆調査を行った、として間違いないように思える。
悉皆調査とは、国勢調査のように、母集団のすべてを調査するものである。
一般的には、母集団から少数のサンプル(標本)を抽出して調査する標本調査よりも高い精度が得られるはずである。

『三国志』の「壹」と「臺」の字のすべてを取り出して調べることは、「壹」と「臺」の誤記を検証するという目的に照らした場合、果たして悉皆調査をしたことになるのだろうか?
そして、調べたすべての「壹」と臺」に誤記がなかったとして、「邪馬壹国」の表記は、絶対に誤記ではないはずだ、と言い切れるのだろうか?

推計学を研究方法の基礎とする安本美典氏は、そうではないのだ、という(『邪馬一国はなかった』徳間文庫(8809))。
古田氏は、「あやまりであるという、必要にして十分な論証を示すことができない限り、現存テキストの表記にしたがうべきだ」としているが、A(邪馬壹国)かB(邪馬臺国)か、どちらが正しいか分からない場合、Bであることの必要にして十分な論証が示されなければ、Aをとるべし、とは言えない。
Aをとるべし、とするためには、Aであることが必要にして十分に論証されるか(論証1)、Bではあり得ないことが、必要にして十分に論証されなければならない(論証2)。

問題は、一般に、論証1のスタイルが困難だということである。
あり得そうな命題が、間違いないものだ、と論証するにはどうしたらいいか?
例えば、アリバイ(不在証明)というものがある。
容疑者Xが、犯罪が起きた時刻に、犯罪が行われたのとは別の場所にいたことが証明されれば、容疑者Xは犯人ではない、ということになる。
しかし、明白なアリバイがない場合、Xが犯罪を犯していないことは、どうしたら証明できるだろうか?

Xが犯罪を犯したことの証明は、比較的容易であろう。
例えば、現場における指紋や、DNA鑑定などによって、通常はそこに居るはずのないXの存在が確認されれば、Xの容疑はかなり確定的なものとなる。
しかし、Xが犯罪を犯していないことの証明は難しい。

よく問題になるのは、「痴漢行為」である。
女性が、「この人(X)は痴漢です」と告発する。
しかしXは、痴漢行為を行っていないと主張する。
目撃者がいたとしても、痴漢行為のような場合、極端な例を除いて、断定するようなケースは余り想定できない。
エコノミストとして有名なU元教授の場合も、ひょっとしたら、時の政策に批判的な立場だったU教授に対して、国家の権力が冤罪的な容疑を被せた可能性だって否定できない。

推計学(推測統計学)では、論証の難しい命題を「否定の否定」という、一種の弁証法として立論する。
つまり、証明したい命題(P)と両立し得ないような命題(Q)を設定し、Qが成立する可能性が確率的にみて否定されるような結果が得られれば、Pを認めようということである。
論証は、否定されるべき命題を否定するということであるから、否定されるべき命題は「帰無仮説」といわれる。
つまり、「帰無仮説」を否定することによって、それに対立する命題を論証するという手続きである。

「邪馬壹国」の「が正しいという命題を証明することは、一般的にいって難しいだるう。
だから、「邪馬壹国」は間違いであった、という命題を確率的に否定し、邪馬壹国であった可能性が高い、というのが推計学の立場である。
そういう観点からすると、古田氏の命題の立て方と検証の仕方がそもそもおかしいのではないか?
安本美典氏は、推計学の方法論からして、古田氏の論証は成立しない、と否定したわけである。

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