« 帰無仮説-「否定の否定」の論理 | トップページ | 「壹・臺」論争の帰結 »

2008年11月23日 (日)

母集団と標本

『三国志』の「魏志倭人伝」に書かれている「邪馬壹国」の「壹」の字は、「臺」の誤記なのかどうか?
それを検証するために、古田武彦氏は、『三国志』の中の「壹」と「臺」の字の全数を取り出して調べた(『「邪馬台国」はなかった-解読された倭人伝の謎』朝日新聞社(7111))。
全数について調べたのだろうから、「いわば悉皆調査である」と私は安易に書いてしまったが(11月19日の項)、安本美典氏は、『三国志』中の86個の「壹」の使用例から、検証対象の「邪馬壹国」(1ヶ所)と、同じく固有名詞の「壹与」(3ヶ所)を除いた82例の「壹」は「母集団」なのか、「標本」なのか、と問題提起している(『邪馬一国はなかった』徳間文庫(8809))。

安本氏によれば、これは「母集団」ではなく、「標本」と考えるべきだ、ということである。
それでは、「母集団」は何か?
『三国志』を書いたのと同じ状況のもとで、「著者の陳寿が用いるであろう「壹」の字のすべての集まりを考えるべきだろう」ということである。

なぜならば、論証の構造は次のようである。
ある母集団から取り出した82個の「壹」の字に関して、「臺」の誤記と認められるものは1例もない。
したがって、この「母集団」の中には、「臺」の字の誤記の結果として生じた「壹」の字は含まれていない、と推論できる。
だから、同じ母集団から取り出した「邪馬壹国」の「壹」の字も「臺」の誤記だとは考えられない。

もし、82個の「壹」の字を「母集団」として考えてしまうと、検証対象の「邪馬壹国」の「壹」はその母集団には属さないことになってしまう。
それでは、論証の構造そのものが成り立たない。
だから、82個の「壹」の字は、「母集団」ではなく「標本」として考えなければならない、ということになる。
その場合の「母集団」は、上記したように、陳寿が用いるであろう「壹」の字のすべてである。

それでは、「邪馬壹国」、「壹与」を含む86個を「母集団」とは考えられないだろうか?
しかし、「邪馬壹国」の「壹」が誤記なのかどうかを検証しようとしている判断基準に、「邪馬壹国」を入れたら、誤記かどうかの判断にならない。
だから、確かに、82個の「壹」の字は「標本」と考えるしかない、ということになる。

私たちは、「標本」調査よりも、全数を対象にした悉皆調査の方が、信頼性が高いはずだ、と考えがちである。
もちろん、一般的にはそう言えるだろう。
しかし、こんな事例もあるから、悉皆調査だから必ずしも的確であるとは言えないという。

例えば、日本の小学6年生の学力調査について考えてみよう。
悉皆調査は、日本中の小学6年生について、学力テストを実施して、その結果を判断する。
標本調査は、何らかの基準で抽出した小学6年生の学力テスト結果によって判断する。
標本調査には、誤差がつき物だから、悉皆調査の方が精度が高いだろう、と普通は考える。

しかし、次のようなケースがないとは限らない。
例えば、成績の悪い子供を、テスト当日休ませてしまう。
あるいは、テストの事前に、特別な対策を講じる。
そうすると、データそのものが変質してしまうことになる。
変質したデータからは、実際の状況を判断する推論は得られない。
上記のような事例は、むしろ標本調査ならば防ぐことができるだろう。
誰が標本になるか分からなければ、対策のとりようがないからである。
http://d.hatena.ne.jp/trivial/20071208/1197047240

あるいは、労働状態について調べる場合を考える。
悉皆調査である国勢調査に、国民の労働状態についての調査項目がある。
悉皆調査であるから、データとしては完璧なものと考えられる。
同様に、毎月の労働状態を、総務省統計局が「労働力調査」によって調査している。「労働力調査」は「国勢調査」に対しては「標本調査」ということになる。

当然のことではあるが、この2つの調査結果が一致するわけではない。
その場合に、無条件で悉皆調査の方が信頼度が高いと判断できるだろうか?
標本調査の「労働力調査」の場合、作為が働いたとは言えないとしても、失業者のいる世帯を「標本」として調査することが難しいかも知れない。
あるいは、悉皆調査に未回答が多ければ、その分の誤差が生じるのは避けられない。
また、両調査とも、「完全失業者」とは、「1.仕事を少しもしなかった/2.仕事を探していた」に該当する人と規定しているが、「仕事を少ししていたが、仕事を探していた」人が、「仕事を探していた」と回答すれば、完全失業者に区分されてしまう。
「仕事をしたいと思っていても、具体的な求職活動をしていない人」が、「仕事を探していた」と回答すれば、調査の趣旨からは「非労働力人口」に区分されるべき人が、やはり「完全失業者」に区分されてしまう。
定義や回答方法の理解については、悉皆調査よりも標本調査の方が高くなるとも考えられ、一概に悉皆調査の方が精度が高いとはいえない、ということもある、ということである。
http://column.onbiz.yahoo.co.jp/ny?c=al_l&a=025-1205833526

|

« 帰無仮説-「否定の否定」の論理 | トップページ | 「壹・臺」論争の帰結 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

日本古代史」カテゴリの記事

思考技術」カテゴリの記事

邪馬台国」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 母集団と標本:

« 帰無仮説-「否定の否定」の論理 | トップページ | 「壹・臺」論争の帰結 »