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2008年11月30日 (日)

邪馬台国に憑かれた人…①原田大六と「東遷」論

渡辺一衛『邪馬台国に憑かれた人たち』学陽書房(9710)に登場する研究者のトップバッターは、原田大六である(以下、関連稿においては敬称略)。
原田大六は、WIKIPEDIAでは、以下のように解説されている。

福岡県糸島郡前原町(現前原市)に父・猪之助、母・ユクの長男として生まれる。福岡県立糸島中学校(現在の福岡県立糸島高等学校)在学中に安河内隆教諭の薫陶を受け、考古学に傾倒。中学卒業後、上京、就職、召集、復員の後、故郷に戻り、中山平次郎博士に師事。地域の発掘・調査を通じて、天皇家の故郷は、自分の郷土であると確信を持つに至る。
昭和40年(1965年)、前原市有田で平原遺跡を発見、八咫鏡と平原遺跡出土鏡の近似性を推測、被葬者を天照大神であると推量した著作「実在した神話」を出版し、世に衝撃を与えた。

原田大六は、邪馬台国問題に関する主著『邪馬台国論争』三一書房(6905)において、以下のように「邪馬台国問題の現状(当時)」を批判している。

(戦前・戦中には一般に知る人の少なかった「魏志倭人伝」によって)正しい歴史を知ろうとする傾向は、まことに結構なことであった。しかし、邪馬台国の所在地を、九州と畿内という二つに分けてしまって、それを対立のまま持ち出し、世間に「邪馬台国ブーム」までつくってしまった学者達に、「結構なことでございますね」とは挨拶にもいえないのである。なぜならば、それらのなかには、戦前の歴史をうまく裏返してみせただけのものがあり、科学らしくみせて非科学のとりことなるもの、他人の研究成果を寄せ集めてひとかどの大学者になったつもりでいるものなど、その実態はまことにひどいもので、戦後二十数年の邪馬台国研究に進展はなく、虚構が歴史学の中にいつの間にかもぐりこんで、小説とも歴史ともつかぬものに堕落してしまっているのである。

まことに手厳しいが、宮崎康平『まぼろしの邪馬台国』講談社(6701)などによって、「邪馬台国ブーム」が大衆的に盛り上がっている状況に対し、学者の側から、新規的・進歩的な見解が提示されていないと論難しているのであろう。
原田大六の師事した中山平次郎は、大正から昭和にかけて、北九州の遺跡を調査研究した考古学者だった。
中山は、北部九州の弥生時代の甕棺墓から出土する鏡・剣・玉などの副葬品が、古墳時代の古墳から出土する副葬品と連続していることに着目し、畿内の弥生時代と古墳時代のつながりよりも、北九州の弥生時代と畿内の古墳時代のつながりの方が強いとした。

原田は、徴兵されて中国に出兵したが、敗戦後帰国して兵隊服姿で、1人で福岡市内の6畳間で暮らしていた老考古学者の中山平次郎を訪ね、入門を許される。
毎日のように、マンツーマンの講義を受けたという。
原田は、中山の「九州北部の弥生→畿内の古墳」の連続性の考えを受け継ぎ、弥生時代の北九州勢力が畿内に入って邪馬台国をつくった、という「東遷仮説」を展開した。

京都大学を中心とする畿内説論者は、畿内の弥生時代の勢力が、大和を中心とする邪馬台国をつくった、としている。
原田説は、邪馬台国成立以前の2世紀代まで、倭国の中心は北九州であり、その勢力が、2世紀末に畿内に遷移して大和に邪馬台国をつくったとするものである。
この考えでは、畿内の弥生時代と古墳時代の間には断絶があることになる。
考古学的には、弥生時代の畿内では銅鐸が祭器であり、古墳時代の鏡・剣・玉による信仰体系とは異なっている。

邪馬台国論争の1つの焦点として、「三角縁神獣鏡」の問題がある。
「三角縁神獣鏡」とは、文字通り、銅鏡の縁部の断面形状が三角形の神獣鏡であって、古墳時代の古墳から多数出土している。
「魏志倭人伝」に、卑弥呼が魏の皇帝から鏡を下賜された、という記述があることから、その鏡が「三角縁神獣鏡」であるのか否か、という問題である。
「三角縁神獣鏡」が出土するのは、主として畿内の古墳であり、卑弥呼が下賜された鏡が「三角縁神獣鏡」であるなら、邪馬台国畿内説が有利になる。

もう1つの重要な論点は「高地性集落」である。
瀬戸内海沿岸部や、大和盆地の周辺部に、人が居住するのには適さないような高地に多くの遺跡が残されている。
これらの遺跡は高地性集落と呼ばれているが、戦争のためn見張台や避難場所と考えられている。
つまり、平時に使用されたものではないだろう、ということである。
とすれば、「魏志倭人伝」に記された「倭国大乱」と結びつけて考えるのが自然である。

問題は、高地性集落が、畿内から西へ西遷したのか、北九州から東へ東遷したのか、である。
戦後、高地性集落に関する研究が進んで、東遷説に有利に展開している。
つまり、北九州と畿内との統一は、畿内の勢力が北九州に進出して統一したと考えるよりも、九州の勢力が畿内に進出して統一した、と考える方が合理的である、ということである。

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