御廟山古墳(陵墓参考地)を一般公開
今朝の朝刊各紙によれば、仁徳天皇陵(大山古墳)などで知られる百舌鳥古墳群にあり、陵墓参考地に指定されている御廟山古墳を、宮内庁と堺市が発掘し、一般公開されることになった。
陵墓参考地とは、被葬者を確定できないものの皇族の墓所の可能性が考えられるものである。
陵墓に関する宮内庁の姿勢は、WIKIPEDIA(08年11月18日最終更新)によれば、以下の通りである。
「陵墓は皇室祭祀の場であり、静安と尊厳を保持しなければならない」という理由で考古学的調査の許可を拒み続けている。また、歴史学的・考古学的信頼度については「たとえ誤って指定されたとしても、祭祀を行っている場所が天皇陵である」としている。
陵墓参考地も、陵墓に準じて考えられている。
自分の先祖の墓として考えれば、研究調査のためとはいえ、その墓を暴くような行為が気持ちのいいものでないことは当たり前の感情だろう。
だから、私人については、当人の意思が尊重されるべきだと思う。
しかし、私は、皇室は最大の公共財であると考えるものである。
また、古代史の謎を解明するうえで、陵墓の調査は不可欠と考える。
そういう観点から、一般への公開を拒んできた宮内庁の姿勢には疑問を持っていた。
そもそも、上記のWIKIPEDIAにあるように、「誤って指定されている」と考えられるケースも少なくないらしい。
やはり、なるべく正確な比定をして欲しいと思うのも、自然な感覚なのではないだろうか。
宮内庁の姿勢も、「調査の許可を求める考古学界の要望もあり、近年は地元自治体などとの合同調査を認めたり、修復のための調査に一部研究者の立ち入りを認めるケースも出てきている」ということであり、今回の御廟山古墳の一般公開も、そういう方向性に沿ったものであろう。
今後、宮内庁の姿勢がどうなっていくかは分からないが、基本的にはすべてオープン化することが望ましいのではないかと思う。
もちろん、天皇家といえどもプライバシーに係わるようなことまで、すべてを開示すべきだと主張しているわけではない。
しかし、一般人と対比すれば、プライバシーが制限されることも止むを得ないだろう。
皇室祭祀が、公共的なものなのか、私的なものなのか議論が分かれるところだろう。
天皇制には、多かれ少なかれ、宗教的要素が基盤となっているから、オープン化の方向は、宗教的権威を薄くさせる方向に働くことになるだろう。
その結果として、天皇制の基盤が揺らいでしまうかも知れない。
そういうことを考えると、日本人あるいは日本国のアイデンティティの視点からして、それがいいのか、という議論はあると思う。
しかし、自らの歴史がベールに包まれたままで、多くの不自然な謎が残る状態の方が、むしろアイデンティティを揺るがすことになるのではないか。
まして、現在のようなWEB時代において、宗教的神秘性に依存するような体制が永続するとも思えない。
情報公開した上で、その時代の国民がどう考えるかに委ねるしかないのではないだろうか。
巨大な仁徳天皇陵については、小・中学校の社会科の時間のときから、お馴染みである。
ピラミッドなどと同様に、まさに権力の大きさのシンボルのような陵墓である。その工事規模と工事費について、試算した事例を紹介したことがある(08年5月2日の項)。
古代工法での仁徳天皇陵の構築には、現代の巨大ダムと同程度の費用が必要だった、というのが私見を交えたラフな結論だった。
御廟山古墳は、その仁徳天皇陵と同じ百舌鳥古墳群の中にあり、4番目の規模である。
今回の調査で、江戸時代前期に新田開発が行われたとき、溜池としても機能していた古墳の壕が拡張され、墳丘が削られたことが判明した。
その結果、全長は、従来考えられていた186mが、約200mだったということである。もちろん、高松塚古墳の例を持ち出すまでもなく、発掘調査には慎重な配慮が必要だと思うが、その時代の最善の努力が行われたならば、発掘による状態の変化は止むを得ないことだと思う。
(図および写真は、朝日新聞081128)
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コメント
陵墓参考地に指定されている古墳の一般公開は、これが全く初めてのことなのでしょうか、
閉ざしていた帳を一瞬でも開いた、ということなら、これが、神代の時代の あの天岩戸がちょっと開いた間隙に手が差し込まれ、この世に天照大神の御光が行き渡るようになった例の如くに、
様々なことが明らかになったら、どんなに良いでしょう。
それと、今は宮内庁が厳粛に管理をしているという陵墓でも、嘗て盗掘にあっている所があって、仁徳天皇陵のものだという飾りの付いた銅剣がアメリカにありますよね、
海外に流失してしまっているその様な考古資料についても、調査に対しては消極的なこれまでの宮内庁の体制では、放任ということになってしまっています。
世界有数の古い文化を持つ日本の由緒、正しく明らかにされるべきだと思います。
投稿: 重用の節句を祝う | 2008年11月29日 (土) 12時01分
重陽の節句を祝う様
コメント有り難うございます。
WIKIPEDIAの解説では、「近年は地元自治体などとの合同調査を認めたり、修復のための調査に一部研究者の立ち入りを認めるケースも出てきている。」とあります。
しかし、一般に公開されるのは、初めてと言っていいようです。
もちろん、墳丘には立ち入れないようです。
私は、一般への公開は今回のような形でいいと思いますが、研究者に対しては、もっとオープンにしていいのではないかと考えます。
仰るとおり、日本の文化や由緒は「正しく」明らかにされてこそ、価値が評価されるものだと思います。
学習途上の拙文ですが、またお立ち寄りいただければ幸いです。
投稿: 管理人 | 2008年11月30日 (日) 06時19分