紫香楽宮跡から門籍木簡が出土
11月19日の各紙は、滋賀県甲賀市教育委員会が、甲賀市の宮町遺跡(紫香楽宮跡)から、食品名の記された木 簡および門籍木簡が出土したと発表したことを報じている。
出土木簡の文字は鮮明で、肉眼でも十分に判読出来る状態だった(写真は甲賀市教育委員会発表資料から)。
調査地は、宮町遺跡の中央で、紫香楽宮の中心区画である「朝堂地区」から、北東方向に約150m離れた位置である。
甲賀市教育委員会の発表資料によれば、この地区からは、今までに、「造大殿所」、「御炊殿」、「皇后宮職」などと書かれた木簡や、「御厨」と書かれた墨書土器が出土している。
出土土器についても、他の地域に比べて質量ともに優位であることから、調査地の近辺に王権に関係する部署が存在したのではないか、と考えられている。
紫香楽宮跡地の地形は、宮町盆地の中央を南北に貫流する浅い谷状地形が埋没すると推定されており、この谷状地形の断面観察では、堆積層の上層で中世の遺物が、中層で平安時代後期の遺物が出土し、下層からは奈良時代中ごろ(8世紀中葉)の遺物が出土している。
下層の厚みは、0.2~0.3m程度である。
紫香楽宮を造営する際、谷状地形のままだと盆地の平坦部が東西に分断されて土地利用に制約が生ずるはずであるが、発掘調査の結果、東西両方の平坦地に建物跡が展開しており、宮域を一体的に利用するため、谷を紫香楽宮造成の際の土で埋め立てたと推定される。
その時期は、紫香楽宮期のごく最初の段階であり、上層から中層に堆積する後世の遺物は、紫香楽宮が廃都になった後、埋められた谷が、徐々に自然地形に回帰したということである。
藤原氏の血族として初めて皇位に就いた聖武天皇は、複雑な人間関係に取り囲まれていた。
藤原宇合の嫡男・広嗣が反旗を翻したことは、大きな衝撃だったと想像される(08年6月26日の項)。
天平12(740)年10月26日、藤原広嗣追討の最中に、東国への行幸をはじめる(08年6月27日の項)。
紫香楽宮は、その彷徨の過程で造営された。
そのため、紫香楽宮がどのような構造と機能を備えていたのかについては、謎が多い。
栄原永遠男『天平の時代』集英社(9109)によれば、聖武天皇は紫香楽宮に心惹かれ、この地に浄土を作り出そうと傾注していた。
それは、仏教に深く帰依していた光明皇后やその背後にある藤原氏に、聖武天皇が取り込まれてしまったかと思わせるものでもあった。
それに危機感を抱いたのが元正太上天皇であった。
聖武天皇の後継者について、聖武天皇自身は藤原氏系の皇子を思い描いていたが、元正太上天皇は、安積親王の擁立を考えていた。
元正太上天皇は、聖武天皇と藤原氏を切り離そうとして、聖武天皇に難波遷都を働きかけた。
そして、聖武天皇が難波に行幸する途上で、安積親王が急逝してしまう(08年7月1日の項)。
安積親王の死の真相は今となっては想像するしかないが、藤原氏の手が係わっていた可能性が高いと考えるのが合理的だろう。
安積親王を失った元正太上天皇の思惑は挫折し、745年に紫香楽宮への遷都が実現する(地図は中日新聞081119)。
今回の調査で、食品との関係を示す木簡がまとまって出土したことは、以前に出土した「御炊殿」の木簡や「御厨」の墨書土器などと合わせて、調査地区に食料の保管や炊事関係の部署が存在していたことを窺わせる。
つまり、聖武天皇の御在所に関わる部署があったということである。
また、門籍木簡が出土したことは、紫香楽宮において、門籍制が機能していたことを示している。
門籍制とは、官人ごとに通行すべき門を指定し、その官人の官位姓名を記した門籍を門につけておいて、通行の際にチェックするものであった。
セキュリティ用のIDカードということだろう。
木簡には、「外西門」と書かれている。
門は、区画施設を示すものであるから、紫香楽宮には複数の区画施設が存在し、朝堂地区や御在所地区が区画されていた可能性が高まった。
つまり、紫香楽宮は朝堂や御在所を中心とする地区が、複数の区画施設によって区画され、その外側に「京」が広がっていたと推定される。
紫香楽宮は、離宮と考えられてきたが、都市としての機能を備えていたということになる。
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