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2008年11月17日 (月)

「季刊邪馬台国」

「季刊邪馬台国」という雑誌がある。昭和54(1979)年に創刊された。
ブームは去ったとはいえ、「邪馬台国」という名前を冠した雑誌が、30年にわたって継続的に出版されているということは、幅広くかつ根強いファン層がいることを示している。
もちろん、「季刊邪馬台国」のコンテンツがすべて邪馬台国に関連しているわけではない。
古代史に関する一種の総合誌といった方が適切だろう。

「季刊邪馬台国」の発行元は、福岡市にある梓書院という出版社である。
そして、現在の編集責任者が安本美典氏である。安本氏を中心にした「邪馬台国の会」という古代史愛好家の集まりがあり、その機関紙としての性格もあるように見受けられる。
http://yamatai.cside.com/index.htm

初代の編集長は、諫早市に在住した作家の野呂邦暢氏だった。野呂氏は、古代史に造詣の深い作家で、下関在住だった、同じく古代史に独特の視角を持っていた作家の長谷川修氏との間で交換された書簡を中心に、陸封魚の会編『野呂邦暢・長谷川修往復書簡集』葦書房(9205)という本が出版されている。
野呂邦暢氏は、昭和55(1980)年の5月7日、享年42歳という若さで逝去した。
書架にあったバックナンバーを見ると、4号(8004)までが野呂氏の編集発行で、5号(8007)は田村武志という人の編集発行になっている。

この号の「編集後記」には、後に古代史における有力な論客となる奥野正男氏の論文『邪馬台国九州論-鉄と鏡による検証』が、「季刊邪馬台国」誌の創刊記念論文の最優秀作に選ばれたことなどと共に、宮崎康平氏に続いて同誌編集人の野呂邦暢氏が急逝されたことが記されている。
「晴天の霹靂とはまさにこのことです」という言葉があって、編集部が仰天している様子が如実に伝わってくる。
田村氏の後を、安本氏が引き継いで現在に至っている。

上掲書簡集に収載されている年譜によれば、野呂氏は、亡くなる直前の4月26日に、後に宿命のライバルとして死闘ともいうべき論戦を展開することになる安本美典氏と古田武彦氏の、7時間に及んだという討論の司会をしている。
この討論は、中央公論社から出ていた「歴史と人物」誌の同年7月号に収録されている。

安本美典氏は、京都大学文学部出身ではあるが、いわゆるアカデミズムの史学とは別の世界の人だった。
文章心理学からスタートし、産業能率大学(元短大)に籍を置いて、文章心理学の立場から、プレゼンテーションなど、ビジネスに関連する著書なども出されていたはずである。
氏の古代史に対する論考は、アカデミズムやアマチュアが、性格やレベルは別にして、共に唯我独尊的になりがちであるのに対して、普遍性を目指したものだった。
自然認識の近代的方法として大きな力を発揮した数理的アプローチを、人間の心や、人間の心の産物に適用する試みが、『数理歴史学-新考邪馬台国』筑摩書房(7003)に示されていた。

季刊邪馬台国の創刊が1979年で、野呂氏が亡くなられたのが1980年だから、野呂氏が編集長を務めたのはほんの短い期間だったことになる。
それから早くも30年近くの時間が過ぎたわけである。黄泉の国の野呂氏は、その後の論争の状況、特に安本氏と古田氏の応酬をどのように見ているだろうか。

野呂氏が諫早市在住だったことや発行元の梓書院が福岡市にあることなどから推測されるように、「季刊邪馬台国」の基本的な路線は、邪馬台国九州説である。
邪馬台国論争が多くの人の関心を集めるのは、「日本国家の起源」をどう考えるか、ということに関連してくるからではないかと思う。
邪馬台国が存在したとされる3世紀段階において、日本列島はどのような状況であったのか?

九州説ならば、邪馬台国という「国」の名前が付いていても、現在の国家の概念からはほど遠い、地方権力があった、というだけである。
これに対し、畿内説ならば、畿内に中心を持つ政治権力が、九州にまでその勢威を及ぼしていたということになり、3世紀の歴史像がまったく異なることになる。

アカデミズムの世界でそういうことがあっていいものかとは思うが(あるいは当然なのか?)、東京大学出身の学者は白鳥庫吉以来九州説に立つことが多く、京都大学出身の学者は、畿内説を採用する傾向がある。
学者になる過程でのさまざまな環境が作用している結果なのだろうが、アマチュアの世界からみると、まさに学閥のように見えることは否定できない。

安本氏は、京都大学出身であるにもかかわらず(?)九州説である。
九州にあった邪馬台国の勢力が、後に奈良県に遷ったといういわゆる「東遷説」の立場である。
京都大学の本流ともいうべき畿内説と激しく対立しているのは、氏がアカデミックな史学に身を置かなかったから可能になったとも思われる。
私は専門的な学者に敬意を表するにやぶさかではないが、邪馬台国論争のような場合、結果的にではあるのかも知れないが、学閥的な主張になってしまうことには違和感を覚えざるを得ない。

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