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2008年11月25日 (火)

「邪馬台国論争」の科学性とイデオロギー性

邪馬台国問題については、『日本書紀』との関連や、江戸時代の新井白石、本居宣長などの論議は別としても、明治43(1910)の白鳥庫吉と内藤湖南(虎次郎)の応酬からでも、既に100年に近い時間が流れている。
「邪馬台国論争」自体が、1つの歴史的な対象になっている、ということができよう。

そういう視点で、論争史を振り返ってみる試みも少なくない。
100年の間に累積された論考は膨大なものであり、とても素人が俯瞰し得るものではないが、『研究史 邪馬台国』吉川弘文館(7105)という労作をまとめた佐伯有清氏が、『邪馬台国論争 』岩波新書(0601)を著し、手堅く論争史をレビューしている。

邪馬台国問題を捉える視角は、その時代の思潮と関連する。
そういう観点から、日本近代史と「邪馬台国論争」との係わりを論じたのが、千田稔『邪馬台国と近代日本』NHKブックス(0012)である。
論争史自体が、近現代史のある側面を映し出している鏡だという見かたは斬新だった。
また、論争史を素人向けに分かりやすく整理しているのが、関裕二『検証 邪馬台国論争』ベスト新書(0109)である。

関氏は、「序章 邪馬台国論争と現代史」において、「邪馬台国論争に隠された近代史」という項目を立て、上記千田氏と共通する問題意識を提示している。
なぜ、多くの学者(だけに留まらないが)は、「邪馬台国」に固執してきたのか?
それは、邪馬台国が、たんなる古代史論争でおさまりきれない問題性を有しているからである。
関氏は次のように言う。

邪馬台国はヤマト建国を解き明かす歴史の基礎であり、邪馬台国がどこにあったかは、謎に満ちた天皇家の正体を明かすことにも直結しかねなかった。したがって邪馬台国論争は、近代の思想や政治から強い影響を受け、ますます問題を複雑なものしていったといえないだろうか。

つまり、「邪馬台国論争」は、邪馬台国がどこにあったのか、とか「邪馬壹国」が正しいのかあるいは「邪馬臺国」が正しいのか、というような、「邪馬台国そのもの」に関する論議と、「邪馬台国問題に、どういう思想的立場からアプローチするか」という論議とがあるわけである。
前者を、「邪馬台国論争の科学的側面」とすれば、後者は「邪馬台国論争のイデオロギー的側面」ということができるだろう。

「邪馬台国論争の科学的側面」に関しては、近年の土地開発の増大に伴う考古学的な成果をどう取り入れるかが、キーとなるだろう。
「邪馬台国」が、もともと文献に出てくることからすれば、本質的には史料批判の問題ではあるが、物証としての考古学的な成果は、十分に考慮する必要があるだろう。

また、史料批判は、『記紀』や金石文などの国内史料を、中国あるいは朝鮮半島との史料との対比において、どう解釈するかにポイントがある。
特に、『記紀』自体に内在する諸矛盾の理解や、神代の記述などは、想像力を働かせる要素が大きい。
森羅万象のすべてを文字(言葉)で表すことはできないから、文字(言葉)で書かれたものは、必ず多義性を帯びる。
つまり、いくら厳密な史料批判を行おうと思っても、必ず解釈の幅が存在することは避けられない、というのが史料批判の宿命だと考えられる。
どこかで、ある程度の恣意性を許容せざるを得ないのではないか。

文字(言葉)に比べれば、数値の解釈の幅は小さい。
そこに、安本美典氏などのような数量的アプローチの価値がある。
数値化された結果は、論議の土俵において、共通の素材となりやすい。
しかし、もちろん、数値化し得る事象は、文字(言葉)で表現される事象のごく一部であるから取り扱い得る対象に限界がある。

史料の解釈の幅は、その人の考え方に依存する。
論争の科学的側面としての史料批判と、イデオロギー的側面は可能な限り切り離すべきであろうが、実際には両者は密接に絡み合っている。

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