「壹・臺」論争の帰結
『三国志』「魏志倭人伝」に記されている「邪馬台国」は、『三国志』の現存する刊本では、「邪馬壹国」になっている。
一方、通説は、「壹」は「臺」の誤りとみなし、「邪馬臺国」の「臺」を常用漢字の「台」を用いて「邪馬台国」と表記している。
この「邪馬台国」は間違いであるとして、『「邪馬台国」はなかった」と主張したのが、古田武彦氏であった。
もちろん、古田氏以前にも、「邪馬壹国」という表記であることは周知されていた。
例えば、内藤湖南(虎次郎)は、明治43(1910)年に発表した『卑弥呼考』において、「魏志倭人伝」に「邪馬壹国」とあるのは、『梁書』、『北史』、『隋書』などがみな「邪馬臺国」としており、「壹」は「臺」の訛ったものだとしている。
古田氏は、この通説を、根拠なき原文改訂であり、「壹」が「臺」の誤記であることの明証がない限り、「邪馬壹国」とすべきである、とした。
そして、それが「魏志倭人伝」解明のキーであり、「邪馬壹=山倭=やまゐ」として論を展開した。
ところで、「壹・臺」問題は、邪馬台国の位置問題とどう係わるのだろうか?
古田氏のように、「壹」が正しく「臺」は誤りと考えて位置問題を推論するのも1つの立場である。
しかし、安本美典氏やその他の大多数は、「壹」であっても、「臺」であっても、位置論の追究には大きな差異はない、とする立場であろう。
それは、「壹・臺」問題に関しては、位置を追究した結果をもとに、「壹」が妥当なのか、「臺」が妥当なのかを判断しようということでもある。
もちろん、陳寿の原本は、手書きのものであった。
それが何回も繰り返して写本され、現在の一般的な版本は、12世紀に成立した「紹興本」、「紹熙本」などだとされる。
この間の「邪馬台国」の表記は、鷲崎弘朋氏(『邪馬台国の位置と日本国家の起源』新人物往来社(9609)の著者)によれば、以下の通りである。
http://hpcgi3.nifty.com/washizaki/bbs/wforum.cgi?mode=allread&no=167&page=0#167
後漢書:邪馬臺国
幹苑:馬臺
幹苑所引廣志:邪馬嘉国
梁書:祁馬嘉国
隋書:邪馬臺、邪靡堆
北史:邪馬臺、邪馬臺国
通典:邪馬臺国
太平御覧所引魏志:耶馬臺国
太平御覧所引後漢書:邪馬臺国
冊府元亀所引梁書:邪馬臺国
通史:邪馬臺
三国志版本(紹興本・紹熙本など):邪馬壹国
文献通考所引後漢書:邪馬臺国
文献通考所引魏志:邪馬一国
大明一統志:邪馬一国
図書篇:邪馬一国
鷲崎氏は、宋時代に『三国志』が版本として刊行される前に、『三国志』を引用・参照した史書に、「邪馬壹(一)国」とする表記がまったく出現していないこと、『三国志』版本が出版された以降に『三国志』を引用・参照した史書がことごとく「邪馬壹(一)国」となっていることから、陳寿のオリジナルの『三国志』は、「邪馬臺国」であったと結論付けている。
これが、通説・多数派の立場と言っていいだろう。
古田武彦氏は、『三国志』の刊本に出現する「壹」と「臺」の間に、誤記が皆無であった事実により、「邪馬壹国」は「邪馬臺国」の誤りである、とする従来の考え方に対して、真っ向から否定した。
しかし、『三国志』版本以前の写本では、「邪馬臺国」と書かれていたとみるべきではないか、ということになる。
私は、古田氏の、「邪馬臺国」説がヤマトというよみにひきづられたのではないか、という問題提起や、『「邪馬台国」はなかった-解読された倭人伝の謎』と、いささかセンセーショナルなタイトルで著書を出版したことによって、市民層における古代史ファンの活動を喚起した功績を評価するが、「壹・臺」問題については、やはり「邪馬臺国」の方が妥当なように思う。
安本氏が批判したように、古田氏の論証自体に推論上の難点があることは否定できない。
現在の大勢も、「壹」は「臺」の誤りとするところに帰着しているようである。
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