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2008年11月26日 (水)

「邪馬台国論争」と天皇問題

私は、現在の日本の国を、森喜朗元首相が発言したように、「天皇を中心とする神の国」だとは考えないが、かつてはそういう体制だったと思うし、天皇の名において戦争が遂行され、多くの犠牲が払われたことも、歴史的事実として目を逸らしてはならないと思う。
そして、日本国憲法は、「第一章 天皇」であるから、現在の日本においても、国の成り立ちの根本に、天皇という存在があるわけである。

しかし、天皇とはいかなる存在なのか?
天皇家の出自(ルーツ)はどこか?
天皇制について考える場合、最大のポイントになると思うが、歴史学は明確な解答を示していないように思われる(08年4月25日の項)。
関裕二『検証 邪馬台国論争』ベスト新書(0109)の「第二章 邪馬台国論争の顛末」に、「邪馬台国論争と天皇問題」という項目がある。
関氏は、次のように記す。

改めて述べるが、邪馬台国論争は「天皇」を語るうえで、どうしても避けて通れない道である。天皇が『日本書紀』や『古事記』のいうように、ヤマト朝廷誕生のときから日本の王家だったのか否か。あるいは、かりにその歴史が古かったとすれば、いったい彼らはどこにいて、どのように王権を手に入れることができたのか、これらの問題を考えるうえで、邪馬台国解明は大前提になっている。
『日本書紀』には皇祖神・天照大神の名を大日孁貴(オオヒルメノムチ)と書き、この大日孁貴の「孁」の字を分解すると「巫女」となり、大日孁貴はすなわち「大日巫女」ということになる。これが「ヒミコ」そのものを意味しているのではないかとする有力な説があり、とするならば、八世紀の朝廷は、天皇家の始祖を邪馬台国の卑弥呼に比定していたことになる。
そのためであろう、戦前の歴史の教科書は、邪馬台国をあえて伏せてしまっている。天皇家の始祖がヒミコであったとするならば、「神の子・天皇」という図式が崩れる恐れがあったからだ。
しかも、ヒミコは強大な権力をもって君臨したわけではなかった。あくまで「共立」された王であり、このような事実は、建前のうえとはいえ天皇に全権を委ね、絶対の存在とする明治政府に都合のいいはずはなかった。邪馬台国を隠匿したうえで、歴史を神話から始めたわけである。

戦後、古代史が天皇制のタブーから解放され、自由な論議が可能になった。
大和の神武天皇に始まる歴史という拘束が外れ、「日本国家の起源と邪馬台国との関係」が、史学界だけでなく、国民的関心を呼んだ。
邪馬台国と大和朝廷との関係は?
あるいは、縄文時代はどのように弥生時代に移り、弥生時代から古墳時代へはどのように遷移したのか?
巨大古墳の被葬者は誰か?
天皇家は果たして万世一系か?

戦後の象徴天皇制というのは、合理的なような非合理的なような不思議な体制だと思うが、戦前・戦中の皇国史観に比べれば、はるかに拘束力の弱い体制である。
万世一系でないとしたら、現在に至る皇統の起源は、どこに求められるのか?
小泉元首相の私的諮問機関として、「皇室典範に関する有識者会議」が設置され、これからの天皇制のあり方が論議されたとき、神武天皇のY染色体の継承が重要なのだ、という何となく生物学的根拠に基づいたような意見を聞いたことがある。

私は、仮に神武天皇が初代天皇だったとしても、このような意見はナンセンスだと考える。
特定の男性の遺伝的要素を、男系を通じて継承するとはどういう価値を示すものなのか?
神武天皇自体が、天皇という立場の始祖であったとしても、神武天皇が無から生まれたわけではない。
両親の存在があったはずである。
実際に、『記紀』には、神武に至る系譜まで記されている。
神武の遺伝子が突然変異的に貴重なのだとしたら、その突然変異的要素を、遺伝的に存続させることができるのか?
その突然変異が、他の突然変異と比べて優位である基準は何か?
天皇位に就いたことか?
とすれば、それは遺伝的要素と関係がないだろう。

象徴天皇制と国民主権とを、どう折り合いをつけるのか。
難しい課題だと思う。
「皇室典範に関する有識者会議」の論議は、秋篠宮家に、悠仁親王が誕生したことにより、とりあえず棚上げされた。
しかし、皇位継承問題は、いずれ顕在化することが不可避である。
天皇制のあり方を考える上でも、「邪馬台国問題」は現時点でも重要性を失っていないのではなかろうか。

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コメント

「邪馬台国問題と天皇家」
大変重要な点に着眼されていて、しかも、簡潔でわかりやすく問題提起されていると思います。

わたくしは、貴殿が「珍説 奇説」と断定されている「木村鷹太郎氏の邪馬台国エジプト説」の検証をして、その経過を「浦島太郎から辿る世界史と考古学」のブログで公開しております。

この説が100年間検証されることなく黙殺され、国民がついに宮崎某の「まぼろしの邪馬台国」などという愚説に感心するような、判断力の劣化した国民性を獲得するにいたったその元凶は、上記の貴殿の問題提起などに踏み込ませないための「政府の防御策」の結実であると考えられます。

皇室にとって、また、「陸海空の総帥」となられるために手を組まれた○ダヤ金融界や十字軍残党の子孫たちにとっても、日本人の祖先が鬼界アカホヤ火山灰に覆われた日本列島から避難した地中海界隈で文明を開化させたなどという歴史の真実は抹殺したいにちがいありません。
すべては、そこから発生していると思っています。

投稿: 久保 公 | 2015年1月27日 (火) 14時16分

久保 公様

コメント有り難うございます。
ずい分古い投稿で、書いたことを忘れていました(^_^.)
「浦島太郎から辿る世界史と考古学」勉強させていただきます。

投稿: 夢幻亭 | 2015年1月27日 (火) 20時11分

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