音韻と表意文字
日本語の文字表記は、万葉仮名として始まったと言っていいだろう。
神代文字と呼ばれる文字が存在した、という説もあるが、否定的な見解が多いようである。
神代文字(じんだいもじ、かみよもじ)とは、漢字が伝来する以前に古代日本で使用されていたとされる日本固有の文字の総称である。江戸時代にはその実在を信じていた学者も少なからず存在したが、近代以降の日本語学界をはじめとするアカデミックの世界では、現存する神代文字は古代文字などではなく、すべて近世以降に捏造されたものであり、漢字渡来以前の日本に固有の文字は存在しなかったとする説が広く支持されている。その一方で、古史古伝や古神道の信奉者の間では、神代文字存在説は現在も支持されているが、神代を語れぬ伊勢派が作り出した偽作であるとして排する者もいる。WIKIPEDIA(081030最終更新)
万葉仮名については次のように解説されている。
万葉仮名(まんようがな)とは仮名の一種で、主として上代に日本語を表記するために漢字の音を借用して用いられた文字のことである。『萬葉集』(万葉集)での表記に代表されるため、この名前がある。真仮名(まがな)、借字ともいう。仮借の一種。
楷書ないし行書で表現された漢字の一字一字を、その義(漢字本来の意味)に拘わらずに日本語の一音節の表記のために用いるというのが万葉仮名の最大の特徴である。WIKIPEDIA(081107最終更新)
ただし、『万葉集』の表記には、一字一音節以外の他の表記法も採られているから、藤井游惟氏は、漢字の音読み一字が一音に相当する表記法は、「借音仮名」と呼ぶべきである、としている(『白村江敗戦と上代特殊仮名遣い―「日本」を生んだ白村江敗戦その言語学的証拠』東京図書出版会(0710)/08年4月18日の項)。
以下では、基本的に「借音仮名」という言葉を用いることにする。
宮崎康平氏は、盲目になるという不幸に見舞われたが、その不幸を利点として生かすべく努力した。
借音仮名を見た場合、私たちは、漢字の表意性に引きずられて解釈しがちである。
漢字の表意性は、情報伝達力の重要な要素であるから(07年12月14日の項)、それはやむを得ないことである。
しかし、上代の借音仮名の場合には、漢字の意味は捨象されているので、なまじ漢字の意味を連想すると、言葉の解釈を誤る可能性が高い。
盲目の康平氏は、もっぱら耳からの入力を頼りに、読解の努力を続けた。
それは、借音仮名の場合、とりあえず意味を考慮しないということに通ずる。
例えば、以下のように書いている(『新装版まぼろしの邪馬台国』講談社文庫(0808)/p41~)。
(マの地縁の説明)
アマ--アは広いとか大きいことを表す語で、天は広い畑、広大な耕地を意味する(天、天草、甘木。ところが記紀でアマに天をあてられたため、多くの場合、空と勘違いされ、今日まで取り返しのつかぬ、おびただしい誤訳を生んでいる)。カマ--川岸の耕地(釜、鎌、鎌田、釜崎)。クマ--川ぞいの耕地(熊、隈、熊谷、熊田、熊木、雑餉、佐久間)。コマ--クマにほぼ々(駒、駒沢、駒田)。シマ--もとは島嶼のことではなく、湿地にのぞんだ耕地、高地(島、宇和島、淡島、鹿島、杵島、田島)。スマ--砂浜や洲にのぞんだ畑(須磨、高知県の宿毛はこのスとクマが合体した地形上の地名と思われる)。ソマ--杣。セマの転音もあるが、小盆地の畑。タマ--田圃と畑の入り乱れた耕地(玉の字をあてる場合が多い。豊玉、玖玉、玉川。ツマ--舟がかりのできる比較的平坦な土地(妻、津間、薩摩)。ハマ--水辺の畑(浜、大浜、小浜、浜田)。ヤマ--入り江にのぞんだ耕地(山、大山津見神のヤマ、邪馬台国のヤマ、ここでいうヤマは山岳のヤマではない。山岳の山はユマまたはヨマの変化した音で、数字の四または八に関係のある、いよいよとか、いや増すといった意味のマの重なりを意味しているように解される。もと山はミネ、タケといった)。
地名には、その場所をそう呼んだ何らかの理由があるはずである。
その大半は、現在では分からなくっているのかも知れない。しかし、(すべて正しいかどうかは別として)康平氏の説いているような語源が、地名の由来を解く鍵であることはことは間違いないだろう。
康平氏が、自分の耳で聞いた音を武器とし得た背景には、このような該博な知識が存在したわけである。
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