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2008年11月12日 (水)

岡本正太郎氏の高松塚被葬者論…④年代と被葬者の推定

岡本正太郎氏の高松塚についての見解は、以下の通りである(『高松塚古墳と大津皇子-古代尺度が解く千三百年の謎』梓書院(8706)。

岡本氏は、築造時期と被葬者を以下のように要約する(pp117~118)。
1.年代
①秋山日出雄氏の見解
・古墳の築造形式からは横口式で牽牛子塚と中尾山古墳の間位置する石槨構造

②有坂隆道氏の見解
・四神図が薬師寺本尊台座のものより古い
・壁画に持統期に盛んだった仏教色がなく、正確な星宿図より見て、天文の盛んだった天武期のものと考えられる
・天武11年をはじめとする朱鳥元年7月2日までの服装に関する多くの停止・解除令から見て、この壁画は天武13年閏4月5日から朱鳥元年7月2日までの僅か2年間のものである。余裕を持たせても天武11年から持統初年までの期間である
・天智陵造営時に破壊された窯と同じ須恵器と、藤原宮調査時に出た土器形式のものとを使用していた生活面を基盤に墳丘の築造がされているので、高松塚の築造は藤原京造営時の直前に近く、天武末年に比定される

③岡本氏の見解
・高松塚の尺度は和尺(20.2cm)で、その使用年限が推古期以前、天武期、元明から聖武期で、有坂見解の天武末年と一致する

2.被葬者
①網干善教氏の見解
・帝/后/皇太子/皇子の星を配し、天位にたとえる紫微垣、紫微宮の構成を表している高松塚古墳の被葬者は、それにふさわしい地位の人物

②有坂隆道氏の見解
・星宿といい、日月、四神のいずれもが“治天下”の思想で、四神旗、日月旗は共に天子行幸の旗印であったので、墓室に日月、四神を描くことは天皇葬送の場合のものである

③岡本氏の見解
・高松塚の5尺1寸の方形2個(これだけなら天皇割)と、長辺5尺1寸に短辺3尺の程域形1個の位階は、皇太子割になる

a マルコ山古墳(皇子元老割)…岡本氏は、川嶋皇子に比定
5尺1寸の方形1個と長辺が5尺1寸、短辺2.85尺の程域形2個
b 阿武山古墳(臣下の元老割)…藤原鎌足説が有力
5尺の方形1個と、長辺5尺に短辺2尺9寸の程域形2個
・皇太子割の規格は、壁画や銀装太刀金具、金箔漆塗木棺の出土などから推定される「天皇に準じた位階」に適合する

上記の年代と位階から、岡本氏は、朱鳥元年に亡くなった天武帝と大津皇子、余裕をみて持統3年の草壁皇子に被葬者候補を絞る。
そして、天武帝と草壁皇子は、葬地と年齢で除外され、大津皇子が残る、としている。
大津皇子は、葬地が二上山とされているが、二上山は阿弥陀仏来迎の山と信じられた信仰の山で(当麻寺の来迎図/07年8月29日の項)、この山に持統帝が大津皇子を葬るということは、大津皇子が無実で、その罪滅ぼしの意味があり、天皇葬送の礼を尽くした高松塚の壁画に共通する。

大津皇子の年齢について、岡本氏は、『日本書紀』の壬申の乱の記述において、高市皇子と大津皇子が近江を抜け出して戦争に参加し、高市皇子よりも大津皇子が合流した時にだけ天武帝が喜んだこと、大津皇子が近江軍の総帥だった山部王に間違えられたことから、大津皇子は少なくとも青年だった、と推定されるとしている。
大津皇子の名前は、娜の大津(博多)で生まれたから、とされているが、少年期を過ごした土地の名前と考える方が妥当ではないか。
天武崩御時の、高市、大津、草壁の年齢については、砂川恵伸氏の論考がある。
砂川氏は、天武の没年に、大津皇子25歳、草壁皇子15歳と推定しており、論拠はまったく異なるが、岡本氏の見解と同じ結果である(08年2月5日の項)。

また、天武12年2月1日に「大津皇子始めて朝政を聴く」とあり、大津皇子が皇太子の役割を果たしていたことが示される一方で、天武10年に「草壁皇子を皇太子に立てる」としながら、11年や14年の記事では、皇太子と書かれず単に草壁皇子とされていて、明白に皇太子と記されているのは朱鳥元年8月以降である。
これらの『日本書紀』の記述は、編者が、皇太子だった大津皇子を殺害したことを、最小限の削除と訂正によって隠蔽しようとしたためと考えられる、としている。

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