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2008年11月18日 (火)

「古田史学」VS「安本史学」

安本美典氏と激しい論争を展開してきたのが、古田武彦氏だった。
古田氏の立場をWIKIPEDIA(08年9月29日最終更新)でみてみよう。

1969年、『史学雑誌』に邪馬壹国説を発表。1970年に教職を離れ、以後研究に専念する。九州王朝説を中心とする独自の古代史像を提示し、学界の通説に再検討を迫る。多くの支持者・賛同者を集めるとともに、自説を巡って安本美典や歴史学者と論争を繰り広げた。一時は高校教科書の脚注に仮説(邪馬壹国説)が掲載されたこともある。賛同者・読者の会として「市民の古代研究会」が組織され、雑誌『市民の古代』が刊行された。
……
後年、『東日流外三郡誌』の存在を知り、その内容を高く評価。同書に対して偽書である証拠が提出されてからも、「発見者」であり所蔵者の和田喜八郎支持の姿勢を貫いた。それをきっかけとして市民の古代研究会の分裂を招くにいたり、運営に当たっていた関西の主流派は古田より離れた。
……
また、市民の古代研究会はのちに解散し、雑誌は終刊となる。古田を支持して脱退した人々は「古田史学の会」「多元的古代研究会」など複数の研究会を結成し、連合して年刊の雑誌『新・古代学』を発行している。

「古田史学の会」という研究会が存在するように、古田氏の主張は、「古田史学」と呼ばれることが多い。
とすれば、「邪馬台国の会」を主宰する安本氏の主張も、「安本史学」と呼んで差し支えないだろう。
「古田史学」と「安本史学」は、共に多くのアマチュア・シンパを抱えており、宿命のライバルともいえる。

古田武彦氏の一般向けの古代史の著書は、『「邪馬台国」はなかった-解読された倭人伝の謎』朝日新聞社(7111)が最初である。
宮崎康平氏『まぼろしの邪馬台国』講談社(6701)などによって、邪馬台国がブームになっている中で、「邪馬台国はなかった」と主張したのだから、反響は大きかっただろう。
続けて、同じ朝日新聞社という影響力の大きな版元から、『失われた九州王朝-天皇家以前の古代史』を1973年に、『盗まれた神話-記・紀の秘密』を1975年に出版し、一気に読者を広げた。
朝日新聞社から出されたこの3著は、後に「古田三部作」などと称されるが、以来現在に至るまで精力的に執筆活動を続け、膨大な量の著書が刊行されている。

古田氏の「邪馬台国はなかった」というのは、三国志のいわゆる『魏志倭人伝』における邪馬台国の表記の「台」の字が、旧字の「臺」ではなく「壹」になっているのであるから、これをかってに改変せずに、邪馬壹国のまま表記すべし、というものであった。
つまり、「邪馬台(臺)国はなかった」ということである。
「壹」の字は常用漢字表にはないので、「一」や「壱」が使われることもある。

この古田氏の著書のタイトルを逆用して、『邪馬壹国はなかった』新人物往来社(8001)という著書を出版したのが、安本美典氏だった。
現在は、『邪馬一国はなかった』徳間文庫(8809)として出版されている。
この文庫版の解説を書いている三上喜孝氏(山形大学人文学部准教授)は、「これまで古代史研究は、才能あるふたりの学者の対決によって発展することが、しばしばであった」とし、江戸時代の本居宣長と上田秋成、明治時代の内藤虎次郎と白鳥庫吉、喜田貞吉と関野貞などの論争を挙げている。

三上氏は、戦前・戦中に皇国史観によって呪縛されていた歴史の研究が解放され、昭和四十年代には古代史ブームがおこって、学者のみならず市民が歴史研究に積極的に参加するようになり、邪馬台国論争が百家争鳴の時代を迎えた、とし、その百家争鳴の中で、安本美典氏と古田武彦氏が、論争に鎬をけずることになった、とする。
そして、両氏の立場が、特異であり、かつ良く似たものだとする。
つまり、両氏はともに、もともとは古代史の専門家ではなく、安本氏が心理学の専攻、古田氏が親鸞の研究家だった。
そして、その方法が、安本氏が数理文献学、古田氏が厳密な史料批判という点において、従来の研究とは一線を画し、新しい魅力的な仮説を提示した。
そして、学界よりも市民に支持されるという面においても共通的であった。
三上氏は、安本・古田両氏の対決も、かつての名対決に劣らず邪馬台国論争史に大きな足跡を残すものとなるだろう、と評価しているが、最後に「本書(『邪馬一国はなかった』)は、一つの巨大なドグマとの戦いの記録であるばかりでなく」と書いているので、安本氏の著書の解説だから当然のことではあろうが、安本氏に軍配を上げている。

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