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2008年11月29日 (土)

倭国大乱と卑弥呼共立

日本古代史の通説的立場を代表する書としてしばしば引用させていただいている笹山晴生『日本古代史講義』東京大学出版会(7703)を見てみよう。
邪馬台国は、「第3章 国家の起源」に登場する。
「第1章 日本の原始社会」は、先土器文化の時代から、縄文文化の時代を解説している。
「第2章 農耕社会の形成」は、水稲耕作と金属器を伴う弥生文化の成立と進展を解説している。
そして、第3章は、農業生産の発展の結果として、列島各地に政治集団が形成されてきた弥生中期を経て、弥生後期についてである。

弥生後期には、政治集団相互の激しい抗争が繰り返され、より広汎な地域の政治的連合が形成された。
国家の原初的な形態が整えられた時代と位置づけられる。
東アジアの古代文明の中心は中国であり、日本列島も、中国の動向に大きく左右された。
2世紀後半に入ると、中国では後漢の勢力が衰退し、朝鮮半島における楽浪郡の規制力が失われた。
それまで、楽浪郡を通じて後漢の保護を受けてきた九州北部の政治集団もその影響を受け、九州北部の墓からは、2世紀以後、それまでの豊富な舶載品が消え、鏡も中国製に倣った仿製鏡が増加する。
朝鮮半島から九州北部への文物の輸入が停滞した結果である。

九州北部の停滞に比し、瀬戸内海沿岸地域の岡山平野や大阪平野、あるいは奈良盆地などの地域で、農業生産が著しい発展をみせる。
『三国志』の魏書、東夷伝倭の条、いわゆる「魏志倭人伝」には、2世紀の後半に、倭国で大きな戦乱が起こったことが記されている。
戦乱はいく年も続いたが、卑弥呼と呼ぶ一女子を王に共立することによって、治まった。
この倭国の大乱の様子は、鉄・銅・石製の実用的武器の増加や、高地性集落の出現状況などの考古学的事象とも整合している。

この戦乱を通じて、地域における政治集団の抗争が繰り返され、より大きな地域的政治集団への統合が進み、有力な政治集団を中心とする広汎な政治的統合体の成立が促進された。
西日本各地で弥生式土器の様式が次第に斉一化してくることも、このようなより大きな政治集団の出現を示していると考えられる。

「魏志倭人伝」によれば、倭国大乱のなかで共立された女王卑弥呼が都したのが邪馬台国である。
女王は、奴・伊都・末盧などの九州北部の諸国を含む28国を従えていた。
その邪馬台国は、どにあったのか?
上掲書は、教科書としての立場から、「この邪馬台国については、周知のように、その所在地をめぐって、九州北部(筑後国山門郡・肥後国菊池郡山門郷など)と、畿内の大和とみる説との両説がある」と両論併記である。

そして、この両説のいずれをとるかは、卑弥呼を中心とする政権を、大和を中心に九州北部をも統属下に入れる全国的な政権とみるか、または九州北部を中心とする地域的な政権とみるかの立場の相違を生むことになる、としている。
それは、3~4世紀の統一的政権形成の過程の理解に大きな影響を及ぼすが、いまだに解決をみていない、とする。

「魏志倭人伝」によれば、倭人の社会には身分の別があり、卑弥呼には婢1,000人が侍していた、という。
卑弥呼の時代には、身分階級の分化が進み、各政治集団の首長は、階級的支配者への道を歩み始めていた。
卑弥呼の王権は、自立性をもつこれら政治集団の上にあって相互の対立を回避し、支配者層の共同体的団結を強め、維持していくために存在したと考えられる。

220年に後漢が滅びた後、朝鮮半島は、魏・呉・食の三国鼎立の時代になる。
華北を統一した魏は、238年に遼東の公孫氏を滅ぼして楽浪・帯方の2郡を接収して朝鮮半島における中国の直接支配体制を樹立しようとした。
翌239年、卑弥呼は難升米を帯方郡に送り、魏の皇帝へ朝貢を願った。
帯方太守は難升米を洛陽に送り、明帝は、卑弥呼に「親魏倭王」の金印紫綬を与えた。

245年ごろ、朝鮮半島では韓族の反乱が起き、連合して帯方郡を攻めて、太守弓遵を戦死させた。
日本でも、卑弥呼と南方の狗奴国との間に争いが起きた。
卑弥呼は帯方郡に急を告げ、救援を頼んだ。
247年、帯方太守の使張政は、魏の国王から授けられた詔書と黄幢(軍旗)持って、日本に来て告諭した。
この頃、卑弥呼は死し、男王がたてられたが国内が服さず戦闘がおこり、卑弥呼の宗序で13歳の壱与(台与)を王に立てて収まった。

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