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2008年11月19日 (水)

統計的方法をめぐって

古田武彦氏と安本美典氏の論争の論点は多岐に渡っている。
野呂邦暢氏が司会を務めた「中央公論歴史と人物/昭和55年7月号」の『熱論「邪馬台国」をめぐって』をみてみよう。
冒頭で、野呂氏は、自分の立場を、古代史に関心のある一般読者の代表と位置づけ、古田氏と安本氏の研究活動が、古代史ファンの注目を集めているところである、としている。
そして、古田武彦氏が、『「邪馬台国」はなかった-解読された倭人伝の謎』朝日新聞社(1971)で、『三国志』「魏志倭人伝」を詳しく検討して、一般に使われている「邪馬台(臺)国」の「臺」は、実は「壹」とすべきである、としたのに対し、安本美典氏が、『邪馬壹国はなかった』新人物往来社(8001)を書いて応えているところから、論議を導入している。

そして、二人の方法論や論理について、概括的な話を聞いたあと、以下のようなテーマで論議が進んでいる。
・「邪馬臺国」か「邪馬壹国」か
・「臺」は貴字であったか
・「魏晋朝短里」をめぐって
・邪馬台(壱)国の所在

野呂氏は、この討論記録の後に、「司会を終えて-息詰まる七時間」という文を書いている。
討論が行われたのは、神田駿河台の山の上ホテル。昭和55(1980)年4月26日で、始まったのが午後2時、終わったのが午後10時だった。
途中、夕食のための休憩1時間の中休みをとったので、実質7時間にわたる白熱した論戦だった、としている。
そして、この論争が、のっけから緊迫した空気で始まり、息苦しささえ感じた、という感想を記している。
二人の議論は、必ずしも噛み合っているとはいえないのだが、野呂氏はそれを、「安本氏の要求する『客観』の基準と、古田氏の考える『明証』の基準は、初めからくいちがっているように感じられた」として、そもそも、ものさしが違うのだ、と総括している。
編集部が付記しているように、この稿を書かれた直後の5月7日に急逝している。

上記の議論の流れから分かるように、最初の論点は、いわゆる邪馬台国の表記を、邪馬壹国とすべきか、邪馬臺国とすべきか、という点であった。「壹・臺論争」である。
まあ、一般人にとっては、「壹」でも「臺」でも、そんなことはどうでもいい、ということではあろう。
しかし、「邪馬台国」という表記は、広く長く使われてきたものであり、それが間違いである、というのは、古代史に関心を持つ人にとっては、大きな関心事にならざるを得ない。

安本氏は、討論において、古田氏の「壹」の主張の論拠を次の3点に要約している。
①金石文の字形
②「台」と「壱」の統計
③「台」という字が「神聖至高の文字」であること

そして、安本氏のフィールドである統計の問題から切り込む。
古田氏は、『「邪馬台国」はなかった-解読された倭人伝の謎』において、『三国志』全部の「台」と「壱」について統計をとった。いわば悉皆調査である。
そして、86個の「壱」と56個の「台」があったが、書き誤りは1つもみられなかった。
だから、「壹と臺は字形が似ているから誤ったのであろう」という推論が成り立たないとした。

この「統計的判断」について、数量的アプローチを専門とする安本氏の批判が行われる。
古田氏が、「両字の分量と分布は統計的処理に十分な状況であった」と書いているのに対し、「『十分な』とはどういう意味か?」と問い質す。その「『十分な』という言葉は、統計的概念なのか否か?」と。
統計学においては、「十分な」ということについて、明確な基準がある。
古田氏の立論が、その統計学の基準に則っているのか否か。

これに対し、古田氏は、自分の立場の根本は、安易に原文改訂をしないことが文献処理上の原則であることで、それをいわば公理とするものである。
そして、自らの指針として、次の2つを掲げる。
①簡明率直な方法であること
②基礎的で確実な方法であること
それは、「たとえば小・中学生に対してさえも、説得力をもち、ハッキリと理解されるものでなければならない」としている。
だから、古田氏の文章中の「統計」や「十分」を近代統計学の述語として理解するのではなく、古田氏の示した文脈において理解してほしい、と応えている。

これに対し、安本氏は、「小・中学生にもわかる」ということと、「科学的な実証、学問的な検証」とが両立する保証があるのか、と問う。
もし、「小・中学生にもわかる」推論を是とするならば、邪馬台国問題は、中学生が扱うのが一番いいのか?
天動説と地動説で考えてみれば、小・中学生にとっては、天動説の方が分かりやすいかも知れないではないか?

これに対し、古田氏は、論証過程は非常に複雑でも、本質的には小・中学生にもわかる簡明さを備えているべきだ、とする。
読み返してみれば、この部分において、既に、両者の間には、根本的な差異があるように思われる。
それは、ロジックの問題というよりも、感性の問題のようでもある。

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