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2008年10月10日 (金)

志貴皇子の死と挽歌

志貴皇子と倶に宴した長皇子の歌は、以下の通りである。

  長皇子、志貴皇子と佐紀宮にして倶に宴せる歌
秋さらば今も見るごと妻ごひに鹿鳴かむ山ぞ高野原の上  (1-84)  

この歌は、どう理解すべきか?
岩波書店版『日本古典文学大系4/萬葉集一』(5705)の頭注は、次のようである。

この歌、意味のとり方に色々ある。「今は秋ではないが鹿が鳴いている。秋になれば一層鳴くだろう」「今秋でなく、絵で鹿の鳴いているのを見ているが、秋になれば現実に…」「今見ているようなよい景色の高野原に、秋になったら…(今は秋でない)」「秋になったら今のようにまたいっしょに飲みましょうよ。秋になると…面白いところですよ。是非いらっしゃい」など。

小松崎文夫氏は、『皇子たちの鎮魂歌―万葉集の“虚”と“実”』新人物往来社(0403)において、上記の注を踏まえ、この歌を「秋ではない今、ひたすら『鹿の鳴く“秋”にこだわった』歌ということになる」としている。
そして、“「秋」へのこだわり”をキーワードではないか、とする。
さらに、その「秋」にもかかわる「鹿」に象徴される寓意が、返歌の志貴皇子の歌中に表現されていて、「それが万葉集の宿命的なネガティブな表現を越えるものがあったが故に、最終的に抹消されたのかもしれない」と書いている。

「万葉集の宿命的なネガティブな表現」というのは、正史と対立する事象をカモフラージュした表現ということだろう。
つまり、そのまま載せてしまうと、カモフラージュを逸脱してしまうということだろうか?

志貴皇子への挽歌をどう理解するか?

梓弓 手に取り持ちて ますらをの 得物矢手ばさみ 立ち向ふ 高圓山に 春野焼く…… 

「梓弓~立ち向ふ」は、高圓山を導く「序」とされる。
小松崎氏は、この部分は、通常の「序」を越えた、ことさらに重い意味が込められているのではないか、という。
つまり、「猟師に捕らわれ、木末に逃れた“むささび”の末路」との関連である。

「ますらお」は、猟師なのか、皇子なのか?
「猟師」ならば、“的”である“ムササビ”の誅殺ということになり、「皇子自身」と考えるならば、「得物(さつ)=幸(さち・さつ)に、最後の望みを託しつつも、自らは飛行能力を持たず、逃れるすべを断たれた“むささび”の、最後の矜持(悟りきったすがすがしさ)と捉えられなくもない、というのが小松崎氏の解釈である。

「高野原」は、皇子の宮のあった辺りの高野(高原)とされるが、高圓山を示すとも解釈できる。
志貴皇子には永久に訪れることのなかった秋。そして出会えることのなかった鹿と秋萩。

高圓の野辺の秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人なしに  (2-231)

小松崎氏は、欠落している“倶に宴する”長皇子への志貴皇子の返歌は、編者が笠金村の名を借りて、挽歌(反歌)として巻2の巻末に記しているのだ、とする。

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