志貴皇子の歌の文体的特徴
たとえば、志貴皇子の代表歌の次の歌を見てみよう。
志貴皇子の懽(ヨロコビ)の御歌一首
石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも (8-1418)
確かにリズム感のいい、しかも難解と思われる語句もなく、イメージも爽やかで秀歌のように思う。
しかし、大浜巌比古氏の『万葉幻視考』集英社(7810)には、歌誌「アララギ」昭和47年6月号に掲載されている、島木赤彦と土屋文明両大御所の対立的な2つの見解が引用されている。
土屋文明
現代人が考へるやうな写実的、実地写生的といふよりも、便化の加へられた、典型的なものであるから、之を玩賞するにあたつても、実際の滝水に臨んだ丘陵の側面などに、春のさきがけの蕨が萌えて居る、といふ如き形象を、伴はしめるに及ばないものである。そうした受け入れ方は、返つて作の感銘を安易軽率にしてしまふであらう。
(『万葉集私注』)島木赤彦
垂水の上の早蕨は、一見何の奇なくして、実にいい所を見てゐるのであつて、恐らく作者の空想ではなく、実際そのほとりに立つて写生したのであらう
(『万葉集の鑑賞及び其批評』
写生と見るべきか、写生と見ることは間違いと考えるべきなのか?
大家というべき2人の解釈には大きな乖離があって、平明と思われた歌も奥が深く、志貴皇子に関しては、理解が難しいようだ。
この歌もそうであるが、大浜氏の上掲書は、志貴皇子の歌の特徴として、「形容詞句」的修飾語の存在に着目した森本治吉氏の論考を高く評価する。
「石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる」春になりにけるかも
「石走る~出づる」は、「春」に係る修飾語である。
同じように、「……」は太字の名詞を修飾する語である。
「采女の袖吹きかへす」明日香風都を遠みいたづらに吹く
「葦べゆく鴨の羽交に霜降りて寒き」夕べは大和し思ほゆ
むささびは木末求むと「あしひきの山の」猟夫にあひにけるかも
「大原のこの市柴の何時しかと吾が思ふ」妹に今夜あへるかも
「神奈備の磐瀬の杜の」ほととぎす毛無の岡にいつか来鳴かむ
これらの修飾語は、単に名詞を修飾するだけの意義だけと理解することはできない。
「石走る~出づる」が、「春」を修飾す形容詞句だけであるとしたら、この歌は、「春になりにけるかも」が残るだけになてしまう。
つまり、修飾語の部分に、一定の独立的な価値があるということだ。
それは、敢えて修飾語の部分を切り離して考える必要がないことを意味しているが、このような形容詞句が用いられているところに、志貴皇子の歌の特徴があり、そこにメッセージがある。
長い修飾語の存在によって、息の切れる切断の箇所がなく、綿々として連続した感じを持たせる効果が生まれる。
それは、「非常に柔軟な細竹が、いくらでも曲るくせに折れることは決してないねばり強さを持つのと、共通した味のもので、しなしなした調子でありながら切れ目がない。--この無切断の柔撓性が、上記の長い修飾語と関係があると考へ得る。いや、前者が後者を生んだと考へ得る。」(森本治吉/大浜:上掲書より引用)
この語法は、読者には「待ち遠しさ」を覚えさせる。
特に、「葦べゆく」「石走る」の代表作とされる歌において、この特徴が顕著であることは、志貴皇子の「歌」の価値との関係を示すものであると同時に、志貴皇子の「人」との関係を示唆するものでもある、と大浜氏は説く。
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