新薬師寺の巨大な金堂跡を発見
このところ、歴史学と考古学の接点に位置するようなニュースが連続している。
今度は、8世紀中ごろに建立された新薬師寺の金堂跡とみられる巨大な建物跡が、奈良教育大学の構内で見つかったというものである。
同大学が、10月23日に発表した。
新薬師寺は、光明皇后の開基と伝えられている。
平城京の主要寺院の中で、新薬師寺は平安時代に中心部が倒壊し、全体像が謎に包まれた寺院だとされており、今回の発見が天平文化を知るための手がかりになるのではないか、と期待されている。
調査地は、平城京の東に張り出した興福寺のある外京のさらに東、東大寺の南方で、現在の新薬師寺の約150m西に位置している(地図は朝日新聞081024)。
凝灰岩の切石を丁寧に積んだ当時としては最上級の「壇上積(ダンジョウヅミ)基壇」の一部で、底部を支える延石(または基壇の階段の石)が東西約10mにわたって出土し、基壇の南東部からも延石約3.7mが発見された。
これらの遺構から、建物は裳階(飾り屋根)を含めた柱間が、東西11間(54m)、南北6間(27m)と推 定された。
江戸時代に再建された現存東大寺大仏殿に次ぐ規模で、復元中の大極殿(東西44m、南北14.9m)よりも大きいとされる(朝日新聞081024)。
奈良時代の絵地図「東大寺山堺四至図」(正倉院宝物)にも、金堂に相当する新薬師寺堂が東大寺三月堂の真南に描かれていて 調査地と一致し(産経新聞)、大仏殿よりも横長で描かれていることが裏付けられた(朝日新聞)。
調査を担当した金原正明奈良教育大学准教授(環境考古学)は、「権力者・藤原氏の出身で権勢を誇った光明皇后の政治力の大きさを具体的に知る、新たな手がかりになる」と話している(朝日新聞081024)。
なお、新薬師寺の「新」は、新しいという意味ではなく、「霊験あらたかな」の意味だとされる。
創建時の新薬師寺は、七組の薬師三尊像(薬師如来像と日光・月光両菩薩)とそれを囲む十二神像が安置され、金堂、東西両塔などの七堂伽藍が建ち並ぶ大寺院だったという。
ところが、『続日本紀』によれば、33年後の宝亀11(780)年の落雷で西塔が焼失し、他の堂も延焼した。
また、『東大寺要録』に、応和2(962)年に台風で金堂以下の主要堂宇が倒壊したとされ、復旧はしたものの、衰退を余儀なくされ、寺域は不明だとされてきた。
現存する本堂は、他の用途に用いられた仏堂が転用されたものとされる。
草創については、『東大寺要録』には、光明皇后が聖武天皇の病気平癒を祈願して天平19(747)年に建立し、七仏薬師像を安置したとある。
これに対し、『続日本紀』に記事のある2年前の天平17年の病気の際ではないか、とする見方もあり、聖武天皇が光明皇后の眼病平癒を祈願して天平17年に建立した、という説もある(WIKIPEDIA/08年7月9日最終更新)。
天平時代は、華やかな文化が咲き誇っていたというイメージがあるが、政争の絶えない時代だった(08年6月8日の項)し、天災や疫病が相次ぐ時代でもあった。
巨大な伽藍跡は、鎮護国家を祈って東大寺を造る一方、疾病からの回復を祈った聖武天皇と光明皇后の願いが窺える。
光明皇后の「薬師信仰」について、菅谷文則滋賀県立大学名誉教授(考古学)は「新薬師寺金堂は薬師如来をまつり、十一面観音などを安置する東大寺二月堂や三月堂のちょうど南にも位置する。国家仏教を実践する一方、夫の病気には、現実の世界ですぐに助けてくれる身近な薬師と観音に祈ったのでは」と推測している(産経新聞081024)。
新薬師寺は、薬師如来など30体以上の仏像が並んでいた可能性があるとされる。
光明皇后は、平城京西部の薬師寺(藤原京からの「移建・非移建」「移座・非移座」の論争がある(08年2月22日の項))に対し、東に新たな寺院を建てることにより、東方にある薬師如来の浄土「浄瑠璃世界」を具現化しようとしたとされる。
(写真の白丸が柱のあったとみられる場所/産経MSNニュース081023)
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