小林惠子氏の志貴皇子論
志貴皇子は、『日本書紀』では、天智7(668)年2月条に「越の道君伊羅都賣(イラツメ)有り、施基皇子生めり」とあり、この施基皇子が、志貴皇子のことだとされている(08年10月3日の項)。
施基・芝基・志紀などとも記される。天武天皇の皇子に、同じ音の磯城皇子がいるが、通説では、同名別人とされている。
磯城皇子の母親は宍人臣大麻呂の娘で、刑部皇子の同母弟とされる。
朱鳥元(686)年、他の皇子たちと一緒に、芝基皇子、磯城皇子が200戸を贈与されている。
芝基皇子は天智の皇子、磯城皇子は天武の皇子である。
しかし、『万葉集』と『続日本紀』では、志貴皇子という表記があるだけで、施(芝)基皇子という表記も磯城皇子という表記もない。
シキ皇子は、志貴皇子1人であり、『続日本紀』には霊亀2(716)年に没したとある。
磯城皇子の方は、没年の記載が『日本書紀』にも『続日本紀』にもない。
小林惠子氏は、『本当は怖ろしい万葉集 2 西域から来た皇女』祥伝社(0511)において、志貴皇子と表記されているのは、天智天皇の皇子の施基皇子ではなく、天武天皇の皇子の磯城皇子であると推定している(p166)。
その根拠として挙げているのが、志貴皇子の次の代表歌である。
志貴皇子の懽の御歌一首
石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも (8-1418)
小林氏は、志貴皇子のよろこんだ「春」を、五行説の「春」として、それは天武朝の季節とする(08年10月19日の項)。
志貴皇子が「春」の到来をよろんでいるのは、秋の天智系ではないことの証拠だというわけである。
この歌は、文武朝が成立したときに、同母兄の刑部皇子とともに、大和朝廷で日の目をみることができたのをよろこんだ、というのである。
『日本書紀』が、志貴皇子を天智天皇の子としている理由を、小林氏は次のように説明する。
『日本書紀』は、平安時代初期の弘仁時代(810~824)を中心に、何度か手直しされている。
この間に、『続日本紀』との整合性を図るために、天智天皇の皇子にも架空のシキ皇子がいたように書き直された。
そして、消去するはずだった実在した磯城皇子が、消去されないで記録に残ってしまった。
小林氏は、実在したのは、天武天皇の皇子の磯城皇子だけであり、それが志貴皇子なのだ、とする。
唐国は、天智系を是とし、天武系は非として、日本国王として認知しなかった。
光仁天皇の父の志貴皇子を天智天皇の子として、唐国を騙したのだというわけである。
そして、そもそも天武天皇は4人の天智天皇の娘を後室に入れているのだから、数代経れば、血統的にどちらとも言い難い人が何人も生まれ、大和朝廷としても、天智系・天武系ということにそれほど拘らなくなっていたのではないか、とする。
また、天智系は、高市皇子の子の長屋王を除くと、持統朝に没した川嶋皇子で絶えている、というのが小林氏の見方である。
小林説では、「壬申の乱」の後天武朝が成立し、大津朝を経て、持統朝になるが、その持統天皇として即位したのは天智天皇の子の高市皇子だった(08年10月16日の項)。
持統朝が終わった時点で、大和朝廷には天武系皇子以外にはほとんど皇位候補者がいなくなっていたのであり、晩年の天武天皇の懐刀だったと小林氏が推測している藤原不比等も頭角を現していて、長屋王の一族が滅亡した時点で、天智系天皇の成立はあり得なかった、ということである。
桓武天皇は、光仁天皇の子だというのが『続日本紀』の記載であるが、桓武天皇の諡にある「武」は、神武・天武・文武・聖武と続く天武系の諡である。
『続日本紀』は桓武天皇の時代に、『万葉集』は平安時代初期に編纂し直されている。
『万葉集』に、天武系皇子を推測させる志貴皇子の歌を載せて、その出自を暗示した、と小林氏は説明する。
直ちに納得できるという訳ではないが、古代史に対する1つの見方であり、さらに逍遙を続けてみようと思う。
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