“むささび”の歌は寓意なのか?
志貴皇子の“むささび”の歌は、動物のムササビそのものを詠んだものなのか、それとも“むささび”は寓喩として使われているのか?
ムササビは、移動するときには、木の一番高いところから、滑空してつぎの木に飛ぶ。
だから、猟師は、ムササビが木末に駆け登ろうとするところを狙い撃ちして射止めるといわれる。
そのムササビの習性を哀れんだ歌とも解することができるが、例えば、高望みした結果、身を滅ぼすことになったことの寓喩というふうにも理解できよう。
直木孝次郎『万葉集と古代史 (歴史文化ライブラリー) 』吉川弘文館(0006)は、諸研究者の解釈を紹介している。
加藤千陰『万葉集略解』では、大友皇子や大津皇子がイメージされている。
沢瀉久孝『万葉集注釈/巻三』では、「捕らえられたむささびを見ての作として、そのまゝ理解ができ」「寓意を考へるに及ばないであらう」としている。
稲岡耕二『和歌文学大系「万葉集」一』も、「とらえられたむささびに対する思いを歌ったものとすなおに理解しておきたい」である。
しかし、寓意とする研究者もいる。
吉永登『万葉-通説を疑う』は、「特殊な猟法に興味を持った志貴皇子が、その習性ゆえに殺されたムササビの上をすなおに歌ったものと言うべきであろう」と、ムササビそのものとしつつも、次のような追記を書いている。
「前述のように解しても、なお比喩歌であることは、おそらく間違いないであろう。ただ何を比喩するものかはもとよりわからない。」
直木氏自身は、この歌を詠んだときに、志貴皇子は、大津皇子のいたましい死を想起していた、としている。
鸕野皇后は、大津の周辺をきびしく監視しながら、圧力を加えつつ大津の動きを待った。
大津は、その圧迫に堪えられずに、伊勢にいる姉の大伯皇女を訪ね、親友の川島皇子に心情を訴えた。
その動きを狙い撃ちされて、謀反として処刑されてしまった。
つまり、猟夫は鸕野皇后、“むささび”は大津皇子ということになる。
志貴皇子と川島皇子は、同じ天智天皇の皇子として、年齢もさして違わないと思われる。
「志貴には、大津と川島に注がれる鸕野のつめたい眼の光がよくわかっていたであろう」というのが直木氏の想定である。
これに対して、犬養悦子氏は、『古代史幻想―万葉集の謎に迫る』文芸社(0202)で、「持統10(696)年の衆議粉紜の御前会議(08年9月26日の項)」の様子に触れつつ、この歌を、志貴皇子の自戒の言葉として捉えている。
犬養氏は、次のように書く。
皇子皇女が集められた。「それぞれ忌憚のない意見を」と、天皇のお言葉があった。
中略
「ご一同……」弓削皇子の透き通った声が堂内に響き渡った。
「お考えがおありでしたらどうぞ……」
「しっかりと我々兄弟を束ねて、帝の右腕として国政になくてはならない貴重なお方を失って、本当に残念です。これから先は、私たち兄弟が考えを新たに一致団結していこうではありませんか。今は兄、長皇子が力を付けております。母は、帝の御妹ですから適任ではないでしょうか。私は兄を推薦致します。」
「なるほど……」
「いや、それは……」
遮ったのは、十市皇女の子、葛野王であった。
中略
日本の国は一筋の皇統を守ることを貫いてきた。時にして、兄弟相続を行ったが必ず災いを招いている。今回も十分留意せねばならないことだ。
要約すればこういうことであった。
中略
どこかで、誰かが、「壬申の乱の生き残りが、保身のために、よいしょしたのだ」と呟いていたという。もう一人の生き残りは、一言も発言しなかった。その皇子はむささびは木末求むとあしびきの
山の猟師に遭ひにけるかも (3-267)と言う一首を自戒の言葉として持ち続けて一生を過ごした。
中略
そして、この志貴皇子の御子が光仁天皇となり、桓武天皇に続き、ずっと平安時代に連綿として続いていくことになったのである。歴史って、面白い物語である。
はたして、“むささび”は、大津皇子の寓意なのか、あるいは梅原猛氏のいうように弓削皇子の寓意なのか、はたまた志貴皇子自身の寓意なのか。
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