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2008年10月14日 (火)

“ほととぎす”と皇位回復の願い

「待つ人」である志貴皇子は、果たして何を待っていたのか?
「待ち遠しさ」を詠んではいても、その対象が何であるかは、シークレットであった。

神奈備の磐瀬の杜のほととぎす毛無の岡にいつか来鳴かむ  (8-1466)
神奈備の磐瀬の森のほととぎすよ、お前は毛無の岡にいつ来て鳴くのだろうか。

この歌は、まさに「待つ人」の歌である。
しかし、この“ほととぎす”は、初夏の風物詩としてあると見ることはできない。
“ほととぎす”について、WIKIPEDIA(08年10月5日最終更新)を見てみよう。

ホトトギス(杜鵑、学名 Cuculus poliocephalus)は、カッコウ目・カッコウ科に分類される鳥類の一種。特徴的な鳴き声とウグイスなどに托卵する習性で知られている。(「ホトトギス目ホトトギス科」と書かれることもあるが、カッコウ目カッコウ科と同じものである。)
日本では古来から様々な文書に登場し、杜鵑、時鳥、子規、不如帰、杜宇、蜀魂、田鵑など、漢字
表記や異名が多い。
中略
ホトトギスに関する伝説・迷信は、漢文の古典に由来するものが多い。
ホトトギスの異称のうち「杜宇」「蜀魂」「不如帰」は、中国の伝説にもとづく。古代の蜀国の帝王だった杜宇は、ある事情で故郷を離れたが、さまよううちにその魂が変化してホトトギスになった。そのため、ホトトギスは今も「不如帰(帰るにしかず)」と鳴いている、という。

“ほととぎす”の異称の「蜀魂」について、大浜氏は、「蜀の望帝の魂魄が化してこの鳥になったという海彼の伝説にもとづく。望帝は位を譲った後で、再び帝位に帰ろうと思ったが、果し得ずして死んでしまった。その果し得ぬ恨が残って鳥と化し、昼夜を分かたず悲しく鳴いた」と説明している。

弓削皇子と額田王の相聞歌も“ほととぎす”を詠んでいる(08年9月24日の項)。

吉野の宮に幸(イデマ)しし時、弓削皇子、額田王に贈与(オク)る歌一首
古に恋ふる鳥かもゆづるはの 御井の上より鳴き渡り行く

額田王、和へ奉る歌一首 大和の都より奉り入る
古に恋ふらむ鳥はほととぎす けだしや鳴きし我が恋ふるごと

「古に恋ふる鳥」は、中国の伝説を踏まえたもので、弓削皇子や志貴皇子にとって、“ほととぎす”が蜀魂の鳥であることは共通認識だったと考えられる。
初夏の風物詩としては凡作に思えるこの歌も、蜀魂の歌としてみれば、自ずから異なった意味合いを示すことになる。
蜀魂の知識を有する天智唯一の遺皇子が詠んだ“ほととぎす”である。

かくして、志貴皇子は、みずからの「待つ」対象を明らかにした。
“ほととぎす”が磐瀬の森から毛無の岡へかえってくるのを待つように、天智や大友が喪ったものが、自分の血統の中へかえってくるのを、細竹のような柔撓性で待ったのであった。

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