弓削皇子に獻(タテマツ)る歌
弓削皇子は、文武3(699)年に没している(08年9月23日の項)。
文武天皇が即位して、間もない時期ということになる。
小林惠子氏は、文武即位の時点で、弓削皇子の死は衆人の予知するところだったのではないか、とする。
『万葉集』に、弓削皇子に獻(タテマツ)る歌三首という題詞の歌がある。
さ夜中と夜は深けぬらし雁が音の聞ゆる空に月渡る見ゆ (9-1701)
妹があたり茂き雁が音夕霧に来鳴きて過ぎぬ為方(スベ)なきまでに (9-1702)
雲隠り雁鳴く時は秋山の黄葉片待つ時は過ぐれど (9-1703)
これらの歌は風景を詠んだ歌のように見えるが、「弓削皇子に献る歌」とある以上、「政治的意味が込められていることは疑う余地はない」と小林氏は断言する。
雁は、渡り鳥で日本では子育てをしない外来者であり、外国勢力を指す。ここでは、唐国を暗示している。
1701番歌が、「真夜中に雁が鳴く空に月がある」というのは、「雁(唐国)は、月で表意される天智系天皇を支持する」という意味になる。
弓削皇子は、父は天武であるが、母方は天智系なので、唐国の許容範囲にある。
1702番歌は、恋人のあたりで雁が盛んに鳴いているというのは、唐国の意向は弓削皇子即位にあるという意味だという。
1703番歌も、雁=唐国が、大和朝廷を動かして秋山の天智朝時代すなわち弓削皇子の即位を、時が経ても待っている、ということである。
しかし、結果的に、文武天皇が即位し、時を経ずして弓削皇子は没した。
難解とされる「弓削皇子に献る歌」がある。
弓削皇子に獻る歌一首
御食(ミケ)向ふ南淵山の巌には落りしはだれか消え残りたる
御食向南淵山之巌者落波太列可削遺有
右のものは柿本朝臣人麿の歌集に出づ。
「御食向かう」は天皇に対する用語で、「南淵山の巌」は天皇位を指す。
「消え残り」の万葉仮名の「削遺有」は、「削」の字によって「はだれ」が弓削皇子を暗示し、その「はだれ」は淡雪ですぐ消える。
つまり、弓削皇子の野望は、淡雪のように、少しの痕跡を残して消えてしまう運命だった、というのが小林氏の解釈である。
雲を詠む
痛足(アナシ)川川波立ちぬ巻目(マキモク)の由槻(ユツキ)が嶽に雲居立てるらし (7-1087)あしひきの山川の瀬の響(ナ)るなべに弓月(ユツキ)が嶽に雲立ち渡る (7-1088)
小林氏は、「柿本朝臣人麿の歌集に出づ」の中にあるこの2首を、弓削皇子を詠んだ歌であるとする。
それは、由槻と弓月が詠み込まれていて、由槻と弓月は、弓削をかけたものではないか、ということである。
つまり、1087番歌は、「川波立ちぬ」の表現で、不穏な事態の発生を意味しており、真の意味は、「不穏な事態が起きた。弓削皇子は殺されたらしい」ということである(『本当は怖ろしい万葉集 2 西域から来た皇女』祥伝社(0511)p160~)。
また、1088番歌は、「瀬音が高い」で紛争を意味し、その中で「雲が立って」弓削皇子は没したという意味になるという。
小林氏は、人麻呂が、弓削皇子に対して同情を込めた歌を詠んだことが、文武天皇の意に反し、人麻呂追放の理由になったのではないか、と推測する。
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