『万葉集』と志貴皇子
志貴皇子は、『万葉集』屈指の歌人といえよう。
志貴皇子が、『万葉集』に遺した歌はわずかに6首に過ぎないが、いずれも秀歌と評価されているものである。
明日香宮より藤原宮に遷りましし後、志貴皇子の作りませる御歌
采女の袖吹きかへす明日香風京(ミヤコ)を遠みいたづらに吹く (1-51)慶雲三年へ以後、難波宮に幸(イデマ)しし時、志貴皇子の作りませる御歌
葦辺行く鴨の羽がひに霜振りて寒き夕へは大和し思ほゆ (1-64)志貴皇子の御歌一首
むささびは木末求むとあしひきの山の猟夫にあひにけるかも (3-267)志貴皇子の御歌一首
大原のこの市柴の何時しかと吾が思ふ妹に今夜逢へるかも (4-513)志貴皇子の懽(ヨロコビ)の御歌一首
石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも (8-1418)志貴皇子の御歌一首
神奈備の磐瀬の杜のほととぎす毛無の岡にいつか来鳴かむ (8-1466)
上記が、『万葉集』における志貴皇子の歌のすべてであるが、なかでも「懽」の歌は有名である。
私自身、『万葉集』にさほどの関心がなかった頃でも、好きな一首として愛唱していた。
上村悦子氏は、『万葉集入門 』講談社学術文庫(8102)において、以下のように解説している。
巻八の冒頭の歌である。一読、一陽来復の良き時節の訪れを、心から喜んでいられる気持ちが一首の中にあふれている。
中略
なにかの機会に、早春のころ攝津の垂水に赴かれ、その丘上においていちはやく目撃せられた景を述べ、一陽来復の喜びを表わされたものであろう。騒々しい理屈っぽいところは一つもなく、些細な、よく気をつけねば見出しがたい自然のささやかな現象に目を注いで、それにより春の到来の大きな喜びを感ずる歌人の心持がすなおに吐露されている。
皇子の心の躍動は「石ばしる垂水の上のさ蕨の」のこの渋滞のない直線的なリズムと「萌え出づる春になりにけるかも」と一気に大きな詠嘆に誘導したこの表現によく現れている。一首の中にラ行音が七つも使用され、やわらかなふくよかな気持ちが、音のリズムのうえからわれわれに忍びよってくる。
中略
平明な表現の中に爽快な早春の気分がみなぎって、読む人の心にも限りない春のよろこびをおのずと感ぜしめる歌で、古来愛唱されている。芭蕉の「雪間より薄紫の芽うどかな」も連想される。島木赤彦の「高槻の梢にありて頬白のさへづる春となりにけるかも」の歌もこの歌に負うのであろう。
「石ばしる」は垂水の枕詞とされる。
櫻井満監修『万葉集を知る事典』東京堂出版(0005)では、垂水は、「流れ落ちる水で、滝のこと」と説明し、「石ばしる」も含め、「ここは実景でもあろう」と説明している。
また、上村氏は、垂水は、「垂れる水、すなわち滝(普通名詞)と見る説と、摂津国豊能郡豊津村字垂水とする(固有名詞)説などに分かれているが、これを相関せしめて、垂水という地にある滝の意にとる説が有力に行われている」としている。
この歌は、垂水という地名があることを知らなくても、つまり垂水を普通名詞と解しても、十分理解できると思う。
一読して、「気持ちのいい歌」ということができるのではないだろうか。
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