« 高松塚古墳発見の経緯 | トップページ | 様々なる被葬者論 »

2008年9月 7日 (日)

高松塚被葬者論と認識の冒険

華麗な壁画と規模の小ささというコントラストを持つ高松塚古墳に葬られているのは、果たして誰か?
この設問は、多くの人が関心を持つものであろう。
梅原猛氏は、『黄泉の王―私見・高松塚』新潮社(7306)において、次のように言う。

この問題は容易に解けない問題である。この古墳には、墓誌銘がなかった。そして墓誌銘がない限り、この古墳の被葬者は明らかにならないと、歴史家はいう。しかし、墓誌銘が出たら、誰でも、被葬者が分かるではないか。分からないことを研究するのが学問ではないか。

そして、直木孝次郎氏の言葉を引用している。

高松塚古墳を歴史学の立場からみようとすると、第一問題になるのは、被葬者はだれか、ということである。
これについては、墓誌銘が出ない以上論ずるべきではない(『歴史と人物』四十七年六月号の座談会における井上光貞・岸俊男両氏)とか、軽々な発言は死者に対して無礼である(『毎日新聞』四十七年四月七日号の座談会における上田正昭氏)など、歴史学会には否定的・消極的な意見が強く、被葬者についての研究は停滞している(『仏教芸術』八七号「日本古代史からみた高松塚古墳-壁画と被葬者を中心に-)

現場で発掘調査の指揮をとった網干善教氏は、自分は、被葬者にはあまり興味がない、という(網干善教(構成・太田信隆)『高松塚への道』草思社(0710))。
なぜなら、誰が被葬者かは、そう簡単には分からず、いくら努力しても、答えの出ない問題だからである、という。
被葬者は誰かという問題は、どこまでいっても確かな答えが得られず、だから、研究者が簡単に「誰々の墓だろう」などと言うべきではない。まして、発掘担当者が発言すると、一般の人がその発言を信じてしまいがちなので、口にすべきではない、とする。

果たして、容易に答えの出ない問題に対して、どう向き合うべきなのか?
もちろん、専門家・研究者としての発言が慎重であるべきだ、という考え方は理解できる。
しかし、大胆な仮説をもって思考を進めること自体は重要なことではないだろうか。
私は、梅原氏の上掲書の最後に記された次の言葉に共感を覚える。

私の高松塚論が何らかの決定的結論をもたらすことが出来なかったとしても、それはそれで一つの認識の冒険であったと私は思う。

歴史学界には上記のような直木孝次郎氏が紹介しているような雰囲気が強いのであるためか、高松塚古墳の被葬者を直接論じた著書は、管見の範囲では、梅原氏の上掲書以外には、異端の歴史家ともいうべき小林惠子氏の『高松塚被葬者考―天武朝の謎』現代思潮社(9812)があるくらいなようである。
小林氏は、以下のようにいう。

一部専門家の中には、被葬者のみを追求することは歴史学的ではないという意見の人も何人かいる。しかし、高松塚の被葬者が誰であるかを知ることは、当時の政治的な史実を知る上で、もっとも具体的かつ有効な方法であろう。
高松塚の被葬者に推量された人物はおそらく、一○人に近いであろう。しかし、いずれも、これという該当者とはいえないし、定説には遠く、そのほとんどは忘れられようとしている。
その理由として、高松塚の歴史的背景を『書紀』の記載のままに、すべての研究者が信じているからではないか。

小林氏の説の当否は別として、タブーや権威にとらわれないで、虚心に当時の状況を追求しようとする姿勢は重要であろう。
高松塚古墳は、保存の不手際等で解体を余儀なくされた。
しかし、せめてそれを機会に、新たなる認識の冒険が出てくることを期待したい。

|

« 高松塚古墳発見の経緯 | トップページ | 様々なる被葬者論 »

日本古代史」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/395349/23476938

この記事へのトラックバック一覧です: 高松塚被葬者論と認識の冒険:

« 高松塚古墳発見の経緯 | トップページ | 様々なる被葬者論 »