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2008年9月11日 (木)

被葬者推論の条件…②遺骨の鑑定結果

高松塚古墳には、人骨が遺されていた。
その人骨の特性が分かれば、被葬者を推論するための有力な条件になる。
人骨の鑑定は、島五郎大阪市立大学名誉教授(故人)によって行われた。
鑑定結果の大要は、以下の通りであった(末永雅雄編『シンポジウム高松塚壁画古墳』創元社(7207))。
(なお、このシンポジウムは、昭和47(1972)年4月15日、22日に行われた。壁画発見の直後の時期であり、まだ報告書も出ていない。壁画発見という衝撃を踏まえて、その時点での知見ということであり、調査不十分段階という一面、直感的な認識が示されていると考えられる)

1.部位
出土した人骨は、大腿骨、下腿骨、上膊骨、前膊の一部分

2.数
一体

3.性

4.体格
筋肉あ非常に発達している

5.年齢
第三大臼歯の磨耗度合いから推計すると、30歳代かそれ以上

6.不審点
頭骨が見当たらなかった。
しかし、歯と、頭の下につづく舌骨、甲状軟骨、顎骨はあった

梅原猛氏は、『黄泉の王―私見・高松塚』新潮社(7306)において、島五郎氏の年齢の推論について、異議を申し立てている。
島氏の推論の基礎は、第三大臼歯の磨耗の程度である。
島氏は、これを「2度」と鑑別し、それは6年から7、8年程度使っている程度の減り方であるとする。
そして、第三大臼歯の萌出年齢を、16歳~30歳としている。
つまり、推定年齢は、{16+(6~8)}~{30+(6~8)}=22~38歳である。

しかるに、島氏は、30歳代かそれ以上と鑑定している。
梅原氏は、この島氏の論理矛盾に疑問を呈しているのである。
梅原氏は、さらに橿原考古学研究所によって編集された正式の『中間報告書』にける島氏の鑑定を次のように要約する。

高松塚の人骨には三本の歯が残されていた。そのうち二本は大臼歯、そして他の一本は小臼歯である。しかし、小臼歯の方は破損が著しいので、島氏は鑑定の対象からはずした。残った二本の大臼歯のうち、一本は下顎右側大臼歯であり、もう一本は上顎左側の大臼歯である。島氏は後者にかんしてはっきり「第三大臼歯である」とし、前者にかんしては「第三大臼歯と考えているが、第二大臼歯であるかもしれない」という。

しかし、島氏は、上掲『シンポジウム高松塚壁画古墳』において、残っていた歯を、「下顎の左右の第三大臼歯とこわれた小臼歯」と表現している。
つまり、島氏は、「歯の種類の鑑定を変えた」と判断せざるを得ないことになる。
歯の種類の同定は、年齢推計のもっとも基礎的な条件であると思われる。
しかるに、歯の種類の鑑定が不定であっては、年齢の推計についても疑念を持たざるを得ない。
しかも、このような鑑定の変化にもかかわらず、「30歳以下である可能性は少ない」という推計年齢の結論自体は不変である。
島氏は、『中間報告書』において、「換言すれば、残存歯牙から本古墳出土人骨の年齢を適確に推定することは、かなり困難である」としている。
とすれば、「それが29歳である確率は高いものではない」というように言うべきではない、というのが梅原氏の批判である。
このような批判をもとに、梅原氏は、被葬者の推定を行うに際し、島氏の年齢に関する鑑定結果を括弧に入れて論旨を進めたい、と判断している。

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