被葬者推論の条件…①古墳の築造時期
高松塚古墳の被葬者は誰か?
発掘調査成果から、被葬者を推論するための条件を整理すれば以下の通りである(奈良新聞『高松光源』)。
http://www.nara-np.co.jp/special/takamatu/vol_02d_01.html
1.古墳の外形
直径24メートル、高さ9.5メートルの終末期後期の円墳。未調査部分があるにしても、八角形墳ではないと考えられる。
2.石槨
奥行き(南北)2.65メートル、幅(東西)1.03メートル、高さ1.13メートル。
3.壁画
四方の壁に、玄武(北)、青竜(東)、白虎(西)、が描かれ、南壁に想定される朱雀は、盗掘で確認できなかった。
色鮮やかな人物群像が、東西の壁面に一対ずつ配置されている。
天帝の権威の象徴とされる星宿が天井に、やや下の壁面に日像、月像が描かれていた。
4.副葬品
海獣葡萄鏡(表面径16.8センチメートル)一面。金銅製の棺金具や大刀の外装具など。
漆塗りの表面は豪華な金箔仕上げ。
5.遺骨
熟年男性と鑑定される。
ところで、この被葬者推論の条件について、梅原猛氏は、以下のような異常性を指摘している。
①被葬者の遺骨には、頭蓋骨も下顎骨がなかった。
②副葬品の大刀には刀身がなかった。
③壁画の四神のうち玄武の頭がけずりとられ、日月は、表面をはぎとられていた。
④星宿に帝王を表す北斗七星がなかった。
高松塚古墳の築造時期は何時ごろと推計されるのだろうか?
石室が凝灰岩の切石で造られていることや、副葬品の種類などから、7世紀末~8世紀初めであることは、ほぼ間違いないものと考えられている。
末永雅雄編『シンポジウム高松塚壁画古墳』創元社(7207)の巻末に、「崩・薨・卒・死」の記事が収載されている。
このうち、7世紀末~8世紀初については、以下のようである。
持統3(689)年
草壁皇子:薨/4月13日/書紀
春日王:薨/4月22日/書紀
持統5(691)年
川嶋皇子:薨/年9月9日/書紀
佐伯宿祢大目:卒/9月23日/書紀
持統6(692)年
大伴宿祢友国:卒/4月2日/書紀
文忌寸智徳:卒/5月20日/書紀
持統7(693)年
百済王善光:正月15日/書紀
藤原(中臣)朝臣大嶋:卒/3月11日/書紀
蚊屋忌寸木間:卒/9月16日/書紀
持統8(694)年
河内(川内)王:卒/4月5日/書紀
持統9(695)年
賀茂朝臣蝦夷:卒/4月17日/書紀
文忌寸赤麻呂:卒/4月17日/書紀
泊瀬王:卒/12月13日/書紀
持統10(696)年
大狛連百枝:卒/5月13日/書紀
高市皇子:薨/7月10日/書紀
若桜部朝臣五百瀬:卒/9月15日/書紀
文武2(698)年
田中朝臣足麿:卒/6月29日/続紀
文武3(699)年
坂合部女王:卒/正月28日/続紀
日向王:卒/6月23日/続紀
春日王:卒/6月27日/続紀
弓削皇子:薨/7月21日/続紀
新田部皇女:薨/9月25日/続紀
大江皇女:薨/12月3日/続紀
文武4(700)年
道照:物化/3月10日/続紀
明日香(飛鳥)皇女:薨/4月4日/続紀
文武5・大宝元(701)年
金所毛:卒/正月14日/続紀
大伴宿祢御行:薨/正月15日/続紀
県犬養宿祢大侶:卒/正月29日/続紀
忌部宿祢色布知:卒/6月2日/続紀
多治比真人嶋:薨/7月21日
大宝2(702)年
路真人登美:卒/10月1日/続紀
持統天皇:崩/12月22日/続紀
大宝3(703)年
阿倍朝臣御主人:薨/閏4月1日/続紀
民忌寸大火・高田首新家:卒/7月23日/続紀
慶雲2(705)年
豊国女王:卒/7月23日/続紀
刑部(忍壁)親王:薨/5月7日/続紀
紀朝臣麻呂:薨/7月19日/続紀
葛野王:卒/12月20日/続紀
慶雲3(706)年
大神朝臣(大三輪)高市麻呂:卒/2月6日/続紀
与射女王:卒/6月24日/続紀
慶雲4(707)年
文武天皇:崩/6月15日/続紀
文忌寸禰麻呂:卒/10月24日/続紀
衣縫王:卒/11月24日/続紀
和銅元(708)年
柿本朝臣佐留:卒/4月20日/続紀
美怒(禰怒)王:卒/5月30日/続紀
但馬内親王:薨/6月25日/続紀
高向朝臣麻呂:薨/閏8月8日/続紀
和銅2(709)年
上毛野朝臣男足:卒/4月16日/続紀
犬上王:卒/6月28日/続紀
下毛野朝臣古麻呂:卒/12月20日/続紀
和銅3(710)年
高橋朝臣笠間:卒/正月11日/続紀
巨瀬朝臣多益須:卒/6月2日/続紀
黄文連大伴:卒/10月14日/続紀
古墳の築造時期を、7世紀末~8世紀初頭に絞れば、上記の人々が第一次候補者ということになる。
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