高松塚古墳発見の経緯
網干善教(構成・太田信隆)『高松塚への道』草思社(0710)によれば、石舞台の復元が終わったあとも、網干氏は、飛鳥京の宮跡の発掘に従事していた。
昭和45(1970)年の10月頃、網干氏は、村役場の課長をしていた山本幸夫氏から、村の道路計画の話を聞く。
当時は、天武・持統陵から文武陵のあたりは、柿や蜜柑の畑で、畦のような道しかなく、農家の人は収穫した産品を肩に担いで持ち帰っていた。
農家が軽四輪を持つようになったが、車が通れるような道がないので、農業振興のために、農免道路が造られることになった。
農業振興の補助金を得つつ、観光客向けも兼ねた、軽四輪が通れる道路を造ろうという計画である。
その計画を集会所で説明したところ、地元の人が、「そこは高松塚のそばやな」と言ったという。
山本課長は別の地域の人だったので、その時は詳しいことは分からなかったらしい。
地元に人の話では、生姜の穴を掘っていたら、切石が見えたのだという。
山本課長からそのことを聞いた網干氏は、「これは大変なことになった」と直感的に思った。
牽牛塚(ケゴシヅカ)古墳だとか、中尾山古墳とか、由緒のある古墳はみな切石を使っていたからである。
網干氏は、すぐに役場で自転車を借りて現場に向かった。
しかし、竹藪の生い茂った現地では、なかなか穴が見つからなかった。
1時間ほど探して穴を見つけることができた。直径70センチくらいの蛸壺型の穴だった。
中には入らなかったが、上から監察すると、凝灰岩の切石であることが分かった。
網干は、その日の発掘の仕事が終わった後、河内の狭山に住んでいた末永氏を訪れ、報告した。
末永氏は、網干氏に「君、どうする?」と問いかけた。
網干氏が、「まず測量して図面を作らないと計画も立てられない」と答えると、「あまり公にしないで、きちんとした図面を作るように」とアドバイスがあった。
翌日から、龍谷大学の大学院生を交え、計5人で、4日間かかって、図面を作って末永氏に報告した。
末永氏は、「これは発掘しなければならない」といい、発掘の準備にとりかかることになった。
ちょうどその頃、川原寺の裏山で塼仏が出土した。
川原寺は、白鳳時代に創建された古寺で、その裏山にある神社の崖崩れのようなところで拾ったものだった。
塼仏は、仏や菩薩をレリーフにした土製の仏像のことで、凹型の原型に粘土を詰め込んで、凸型の仏像を作って乾燥し、素焼きにしたものである。
唐朝の影響を受けて制作され、7世紀後半に流行した(08年3月6日の項)。
白鳳時代の塼仏が出土したとなると、重大事である。
網干氏は、その場にいた村会議員の関武氏に、役場の予算をかき集めるよう依頼した。
塼仏の出土地の横が村長の家だったこともあり、50万円の予算を確保できた。
それで、塼仏の調査を始めようとしたところ、村長は、「高松塚を知っているか?」と聞き、高松塚を先に掘って欲しいと要望した。
昭和47(1972)年の3月1日から、高松塚古墳を発掘することになった。
3月6日の慰霊法要を行い、実際の発掘が始まった。
高松塚は版築で塚を築き上げてあった。版築は、粘土に砂を置いて叩き詰め、5センチくらいの層にしていく方法で、お寺の基壇とか建物の土台とかで用いられた。
固めてあるから極めて硬く、普通の鍬なら曲がってしまうという。
3月20日の彼岸は、幸いにして(?)荒天だったため作業を休止し、21日に発掘を再のーと開した。
石槨にあいた穴を大きくする作業を続けているとき、穴の中に光が射し込むと、なにか色がついているように見えた。
その日のことを網干氏はB5版のノートに日記として記している。
上掲書に3月21日分の記述が引用されている。
昨日は大雨であてので午前中は駄目と思っていたところ、案外濡れていないので、早速、作業にとりかかる。
……
盗掘孔を少し広げて中を覗くと、西側に何か色のついたものがかすかに見えた。そこへちょうど陽光が差し込んで少し明るくなると、青い服に茶色の腰ひもをつけた人物が描かれていた。
後に華麗な絵であることが判明する壁画発見の歴史的な瞬間であった。
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