被葬者推論の条件…④大化薄葬令との関係
梅原猛氏は、高松塚古墳は、「その壁画の華麗さにたいするこの古墳そのものの小ささにおいても、また異常なのである」としている(08年9月4日の項)。
高松塚古墳の直径は約18メートルだから、仁徳天皇陵といわれている大仙古墳のような長さが400メートルを越える巨大な古墳(08年5月2日の項)とは、明らかに異なる思想によって築造されたものといえる。
古墳の規模に関しては、大化の「薄葬令」と呼ばれるものとの関連が問題になる。
『日本書紀』の孝徳紀の大化2(646)年正月のいわゆる「改新の詔」の解釈をめぐって、さまざまな論議があるが(08年3月27日の項、29日の項、30日の項、31日の項、4月1日の項、2日の項、3日の項、4日の項)、3月甲申の条の詔、いわゆる「薄葬令」についても、解釈に議論がある。
「薄葬令」は、造墓の制限や禁止に関するもので、王以上、上臣、下臣だけが墳丘の造営を認められ、大仁以下小智は、小石室を造ることは認められるものの、墳丘の造営は認められなかった。
「薄葬令」では、以下のように規定されている。
夫王以上之墓者。其内長九尺。濶五尺。其外域、方九尋。高五尋役一千人。七日使訖。其葬時帷帳等用白布。有轜車。上臣之墓者。其内長・濶及高、皆准於上。其外域方七等尋。高三尋。役五百人。五日使訖。其葬時帷帳等用白布。担而行之。〈蓋此以肩担与而送之乎。〉下臣之墓者。其内長・濶及高、皆准於上。其外域方五尋。高二尋半。役二百五十人。三日使訖。其葬時帷帳等用白布。亦准於上。大仁。小仁之墓者。其内長九九尺。高・濶各四尺。不封使平。役一百人。一日使訖。大礼以下小智以上之墓者。皆准大仁。役五十人。一日使訖。
http://www.j-texts.com/jodai/shoki25.html
以下、末永雅雄編『シンポジウム高松塚壁画古墳』創元社(7207)における議論をベースに、高松塚の規模と「薄葬令」の関係を検討してみよう。
先ず「王より以上の墓は、その内の長さ九尺、濶(ヒロ)さ五尺、方九ヒロ、高さ五尋。一千人を役し、七日に訖(オワ)らしめよ。その葬らん時の帷帳等には、白布を用いよ。轜車(柩車)有れ」と規定している。
1000人という数が、延べで規定しているのか、1日の人数なのか明確ではないが、「大仁・小仁は一百人、一日」とあることを勘案すれば、延べ人数と考えた方が自然であると思われる。
7日で1000人とすれば、1日150人ほどであり、高松塚古墳の規模で有れば、その程度の人数が働くのが限度とも思われる。
「内の長さ九尺、濶さ五尺」とあるのは、石槨のことと考えられる。どのような尺度が用いられていたか、言い換えれば1尺の長さについても議論があるところで、高麗尺(1尺=35.6センチ)と唐尺(1尺=29.6センチ)という説がある。
唐尺で計算すると、9尺=2.66メートルで、高松塚の奥行きとぴったり合う大きさである。
幅5尺は、唐尺で1.48メートルで、高麗尺だともっと広いので、高松塚の石槨の幅1.03メートルより広いことになる。
言い換えれば、高松塚の石槨は、「薄葬令」の規定よりも狭い。
上臣および下臣については、共に「内の長さ・濶さ・高さは、皆上に准(ナラ)え」とあって、石槨の大きさは王以上と同じとされている。
墳丘についての規定は、以下の通りである。王以上:方9尋・高さ5尋上臣:方7尋・高さ3尋下臣:方5尋・高さ2尋半 高松塚の直径は約18メートルであって、1尋=6尺=約2メートルとすると、9尋=約18メートルで、王以上の規定に合致する。
高さ5尋は、約10メートルである。
高松塚は、高さ約5メートルなので、2尋半の下臣に相当する規模であるが、盛り土の崩れ等を勘案すると、上臣相当という辺りと考えられる。
高松塚は、一部「薄葬令」の規定と合致しない部分もあるが、総じていえば「薄葬令」に近いと考えられる。規模からすれば、王より以上の墓つまり皇族の可能性が高く、臣下であったとしても最上級の上臣ではないか、ということになる。
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コメント
「団塊世代の我楽多(がらくた)帳」(https:skawa68.com)というブログの
2019/6/6付けで「古墳」の記事投稿
しています。つたない記事ですが、もし、ご参考にしていただければ幸いです。
投稿: historia | 2019年9月14日 (土) 18時31分