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2008年9月16日 (火)

被葬者推論の条件…⑦壁画(ⅰ)四神と日月

高松塚古墳が広く注目を集めたのは、何といっても壁画の存在による。
石槨の壁と天井に、日月、四神、人物像、星宿が描かれていた。
被葬者を推論するに際しては、もちろんこの壁画をどう解釈するかが最大のポイントということになる。
壁と天井に描かれている絵は、何を物語っているのか?

2 梅原猛氏は、、『黄泉の王―私見・高松塚』新潮社(7306)において、岸俊男氏の解釈を援用しつつ、次のように述べている(pp17~19)。

まず四神であるが、岸氏は、この四神の絵を『続日本紀』大宝元年(七○一)の「大宝元年春正月乙亥朔、天皇大極殿に御して朝を受く、其の儀、正門に於いて、烏形の幢を樹つ。左に日像青竜朱雀の幢、右に月像玄武白虎の幢。蕃夷の使者は左右に陳列す。文物の儀は是に於いて備れり」という記事との関係において考える。
中略
その年(大宝元年)には「大宝律令ができ、文字通り文物の儀が備わった年にとどまるものではない。この律令の実質上の制定者、藤原不比等(六五九-七二○)が、その独裁的権力獲得の第一段階をふみはじめた年である。この年三月、新しい官位の制が定められて、藤原不比等は大納言となるのである。そして、このときほぼ、政治の中心部に坐った不比等は、さまざまな策謀により競争者を排斥し、和銅元年(七○八)にはより強い独裁体制をつくり出し、彼が死ぬ養老四年(七二○)までには四百年以上にわたる藤原政権の基礎をつくったのである。「大宝律令」の制定につぐ奈良遷都、和銅開珎の鋳造、『古事記』の撰修、わが国の基礎をつくった画期的な数多くの文化事業は、いずれもこの時代の産物であり、私はこれらすべては、たとえ直接ではないにしても、藤原不比等の意志の下に行われたと考える。
中略
歴史において、この四神思想がはっきり語られるのは、大宝元年と和銅元年の二度であり、いずれの年も、藤原不比等の権力が、飛躍的に高まった年なのである。

四神はもともと東西南北の七つの星座(二十八宿)を司るものとされる。
東方七宿の総称が青竜であり、北方七宿が玄武、西方七宿が白虎、南方七宿が朱雀である。
高松塚古墳の四壁には、四神が描かれいるというわけであるが、このうち南壁の朱雀は剥落していた。

朱雀については、当然描かれていたと考えるべきだ、とされる(有坂隆道「高松塚の壁画とその年代」『高松塚論批判』創元社(7411)所収)。
しかし、はじめから描かれていなかったという可能性も否定し切れないだろう。
梅原氏は、四神について、薬師寺の薬師如来の台座がよく似ていることを指摘する。
そして、薬師寺は、天武・持統の霊に守られた、草壁-元明-文武政権安定の願いによって建てられた寺であって、四神は、大宝元年の朝賀の儀式及び和銅元年における四神の詔と密接な関連を持っているとする。

そして、『万葉集』の次の草壁皇子が亡くなったときの柿本人麿の歌を引用する。

あかねさす日は照らせれどぬばたまに夜渡る月の隠らく惜しも  (2-169)

つまり、天子を太陽や月に比した比喩としての用法であり、日月も、天子の威光と関係を持っているとする。

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