地下の朝賀…梅原猛説
「高松塚の壁画とその年代」(『高松塚論批判』創元社(7411)所収)において、有坂道隆氏により「スリラー小説以上の迷論」と評された梅原猛氏の推論を見てみよう。
『黄泉の王―私見・高松塚』新潮社(7306)において、梅原氏は、次のように論を展開している(p48)。
この華麗なる壁画にかこまれた、狭く暗い世界。そこで今しも、朝賀の儀式が行われようとしている。東西。男と女の八人ずつの官人や官女が、この世界の王者をかこみ、四方には四神の旗がたてられ、それがはたはたと風になびき、天には日月が輝き、日月は多くの星とともに、この地下の世界の天子の徳を讃えている。
たしかに見かけは、その通りである。しかしこの世界は、地下深く閉じ込められた世界であり、この死霊は、けっしてよみがえってこない死霊なのである。頭蓋骨のない死霊が、どうして蘇ることができよう。
この死霊は、三種の神器らしいものをもっている。地上においては、草壁皇子から持統天皇をへて文武天皇に伝わり、また二人の女帝の手をへて聖武天皇に伝わった剣や鏡や玉にはなはだよく似た三種の神器をこの死者はもっている。しかし、やはり、古墳製作者は死霊の力にある程度の恐怖をもっているのである。死霊が、あれほど、強く再生を否定されても、もしかして復活するかもしれない。とすれば、剣が危いのである。もし死霊がスサノオノミコトのように剣をもって乱暴したらどうなるのか。私は、先に、草薙剣は、『古事記』の神話製作者の意識においては、正倉院にあり高松塚にあったように、金銀をちりばめた唐伝来の剣であったかもしれないといった。ここに葬られているのは、スサノオの如き、強力な皇族、その強力な皇族の霊が復活して、猛威をふるったらどうなるのか。私はスサノオノミコトが、アマテラスに草薙剣を献上した話を思いだす。死霊が生身の刀身のついた刀をもっていてはまずいのである。
そして、死の世界にはなんらかの欠如のしるしが必要なのだ、として、何面に朱雀がなかったことも、最初からなかったのではないか、とする。
北面の玄武の頭が欠落し、東面の太陽、西面の月も欠落しているのであり、南面にのみ欠落が存在しない方が、むしろおかしいと考えるべきではないのか。
天井の星宿の図にも、中心にあたる北斗七星が欠落している。
北斗七星は、天皇の位を象徴するものであるが、この地下の世界には、天皇そのものが欠落している、ということになる。
都(藤原京)の南の檜隈という新開地の一角に、自然の山を利用した小さな古墳がつくられる。広さは王以上であるが、高さは四位なみで、石槨は、五位から八位までの規定よりもさらに小さい。
死霊をおしこめておくためには、なるべく狭い方がいい。
内部に漆喰を塗る。
その漆喰は、壁画制作用であるばかりか、死体の密封用の役割をしている。
この墓には、木棺を入れた墓道のようなものがあったようであるが、一旦棺を入れたら、道は厳重に閉じられたらしい。
墓道状の溝の南端に、縦・横ともに60センチ、高さ36センチほどの切石があった。
この切石は、イザナギノミコトがイザナミノミコトの追跡を防ぐために、黄泉比良坂においた千引の石の如き役割をなしているのではないか。
版築で固めたのも、死者を厳重に閉じ込めるためではなかったか。
梅原氏は、さらに次のように書く。
私は、大宝元年よりそんなに遠い前でも後でもないある一日、この高松塚で行われた不気味な儀式に思いをはせるのである。暗い狭い古墳の中で、今しも朝賀の儀式が行われようとしている。四周には四神、日月の旗がたなびき、今ここで、この黄泉の国で即位した王者は、まさに朝賀の儀式を行おうとしている。日、月、四神、星宿、それに杖や刀をもつ官人たち、なにひとつ朝賀の儀式に必要なもので欠けているものはない。しかし、大切な、肝心かなめのものが欠けている。この王者の頭が、ここにはない。そればかりか、この王者のふり上げようとする刀には刀身はなく、また日月も、半ばいじょう欠け、玄武もまた顔を欠いているではないか。それはまことに不思議な朝賀の儀式である。
律令制の権力者は、なぜこのような無気味な儀式を行わせたのか?
それは、彼が反逆者であったからである、というのが梅原氏の論理である。
オクニヌシノミコトは、国家への反逆者であった。そして、死を命じられ、遠い出雲に手厚く葬られる。
反逆者であるにもかかわらず手厚く葬られるのではなく、反逆者であるが故に手厚く祀られる。
高松塚も同様である。
オクニヌシノミコトを祀った出雲大社が、天皇家の祖先神を祀った伊勢神宮よりはるかに壮大であるように、高松塚も、天皇陵よりもはるかに華麗な古墳なのである。
王者のしるしとして、三種の神器を与え、死霊を永遠に地下に閉じ込めた。
『隠された十字架―法隆寺論 』新潮文庫(8602)において、法隆寺の聖霊会を、怨霊を鎮魂してそれが蘇らないためのものだとしたのと同様の梅原氏の論理である。
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