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2008年9月15日 (月)

被葬者推論の条件…⑥大刀と玉

高松塚古墳からは、棺、人骨、鏡の他に、大刀の金具と玉類が出土している。
大刀は、鞘および柄の木部は腐ったようであるが、それに付いていた銀製の金具が残っていた。
この金具とよく似た金具が正倉院にある(末永雅雄編『シンポジウム高松塚壁画古墳』創元社(7207)/p98、梅原猛『黄泉の王―私見・高松塚』新潮社(7306)/p35)。

正倉院にある大刀は、金銀鈿荘唐大刀(キンギンデンカザリノトウタチ)と呼ばれ、草壁皇子→藤原不比等→文武帝→不藤原不比等→聖武帝とわたったという由来の大刀である。
言い換えれば、即位のしるしというべき大刀で、草壁の血統を、草壁→(持統)→文武→(元明)→(元正)→聖武と維持するために、藤原不比等が智謀を揮ったものとされる。
正倉院御物の大刀は、皇位継承を示すものといえるが、高松塚古墳に、このような大刀とよく似た大刀が収められていた。

また、琥珀製の丸玉やガラス製の丸玉が、堆積土中に散乱して出土した。
玉は、中国では死霊を守るものとしての意味を持っているという。
玉は日本語では魂と同じ音を持つ。
ガラス玉といえども、当時は大変な貴重品であった。
古墳に副葬された玉類は、死霊を鎮魂するためのものであったと考えられる。

海獣葡萄鏡、大刀、玉の3点セットは、いわゆる「三種の神器」と同じ組み合わせである。
三種の神器は、皇位継承のしるしであった。
梅原氏は、次のように言う(上掲書p36)。

(三種の神器を皇位継承のしるしとする)この日本神話は、いかにしてできあがったのか。このような神話の書かれている書物、『古事記』が書かれたのは和銅五年(七一二)、この高松塚がつくられたとみられる藤原京の時代を、わずかに下る頃である。これは実際三種の神器ではないのか。正倉院に伝わる金銀鈿荘唐大刀というのは、じっさい、草壁-文武-聖武へと伝わる皇位継承のしるしであった。われわれは、三種の神器の話を遠い神代に求めているが、私は、『古事記』の神話で語られているのは、遠い神代のことであるより、『古事記』がつくられた時代のことではないかと思う。
私は、三種の神器の八咫鏡なるものも、実は、海獣葡萄鏡であり、草薙剣なるものも実は、金銀鈿荘唐大刀であり、八坂瓊曲玉なるものも実は、唐請来のガラス玉であったような気がして仕方がない。いすれにせよ、この死者は、三種の神器に比すべき宝物をもってここに眠っているわけである。

しかしながら、大刀については既に書いたように(08年9月9日の項)、刀身が発見されなかったという大きな謎が残されていた。
刀身は、大刀の主要部分である。刀身のない大刀に、いかなる意味があるのだろうか?

高松塚古墳が盗掘にあっていたことが知られている。
石槨の内部には、灯油台に使われたと思われる鎌倉時代の土器が数多くあったという。
盗掘者は、刀の刀身だけをはずして持ち去ったのか?
刀身だけをはずすというような作業が、暗い古墳の内部で、果たして可能なのか?
また、刀身を持ち去った盗掘者は、鏡には興味がなかったのか?

遺骨に頭蓋骨がないこと、大刀に刀身がないこと。
この2つの事象に関連性があるのだろうか?
あるとすれば、どのような意味を持っているのだろうか?
そのことを合理的に説明することが、被葬者推論の重要なキーであるようである。

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