被葬者推論の条件…⑪壁画(ⅴ)欠落と損傷
高松塚古墳の壁画の東西の壁の日月は、表面がけずられている(梅原猛氏『黄泉の王―私見・高松塚』新潮社(7306)/p31)。
日に貼られている金箔、月に貼られている銀箔の大部分が剥落している。
さらに、北方の玄武の蛇と亀の頭が削り取られている。
発掘のリーダーの網干善教氏も、末永雅雄編『シンポジウム高松塚壁画古墳』創元社(7207)において、「玄武の顔、すなわち亀と蛇の部分は、明らかに自然の剥落ではなくて、人為的に取り去った痕跡があります。それは私たちが肉眼で見た限りにおいては言えると思いますと語っている。」(p44)。
さらに、既に触れたように(08年9月11日の項)、遺骨の人骨には、頭蓋骨がなかった。
舌骨、甲状軟骨、善頸椎は残存しているので、斬首されたものではない、というのが鑑定結果である。
また、副葬品の大刀には、刀身がなかった。
高松塚古墳には盗掘のあとがあるという。
したがって、これらの欠落や損傷は盗掘者の仕業である可能性がある。
しかし、梅原氏は、頭蓋骨と刀身だけ持ち去る盗掘者の存在は不自然であるという。
また、蘇我馬子の墓と考えられている石舞台古墳の石室が露出しているのは、蘇我氏滅亡のときに、あばかれたためであるという。
それと同じように、高松塚も「あばかれた墓」である可能性がある。
しかし、高松塚は、築造後大規模に改造された痕跡がなく、この説も成り立ちがたい。
そこで、梅原氏は、この古墳に葬られた死体には、最初から頭蓋骨がなく、刀には刀身がなく、壁画の日月にと玄武の顔は傷つけられていたと考えるべきではないか、とする。
高松塚の築造には相当の時間がかかったと推測される。
その間に、死体はどこにあったのか?
梅原氏は、その期間について、殯との関連性を指摘する。
殯(もがり)とは、日本の古代に行なわれていた葬儀儀礼で、死者を本葬するまでのかなり長い期間、棺に遺体を仮安置し、別れを惜しみ、死者の霊魂を畏れ、かつ慰め、死者の復活を願いつつも遺体の腐敗・白骨化などの物理的変化を確認することにより、死者の最終的な「死」を確認すること。その棺を安置する場所をも指すことがある。殯の期間に遺体を安置した建物を「殯宮」(「もがりのみや」、『万葉集』では「あらきのみや」)という。
(WIKIPEDIA08年9月5日最終更新)
高松塚の築造に時間を要したとすれば、殯の時間も相当の期間必要で、死体は白骨化していた可能性が高い。
白骨化した死体から、頭蓋骨を抜くのはわけがない。
梅原氏の推論によれば、殯の存在を考えれば、頭蓋骨の欠如は理解できる。
刀身は、はじめから刀身を欠いていたか、刀身が木質であったかである。
玄武と日月は、壁画が完成してから、死体が運ばれ、石槨が閉じられるまでに傷つけられたのだろう。
問題は、その理由である。
梅原氏は、死体に頭蓋骨がないのは、一種の刑罰なのだとする。
隋・唐の時代に完成された律つまり刑法においては、死刑には、斬首刑と絞首刑とがあり、斬首刑の方が重かった。
絞首の場合は、首と胴がはなればなれにならず、古代的な観念では葬られた場合に再生可能であるのに対し、斬首の場合には、首と胴が離れるので、再生不可能である。
斬首刑とは、この世の生命を奪うだけでなく、あの世での復活の可能性を奪う刑ということになる。
高松塚の死体は、斬首されてはいない。
しかし、決して死後に蘇ることのないように、頭蓋骨が取り去られた。
梅原氏は、『隠された十字架―法隆寺論』新潮文庫(8602)において、法隆寺の聖霊会の中心となる、「蘇莫者」について、自身の「蘇我莫きもの」という解釈を「蘇る莫かれのもの」に修正し、この高松塚の被葬者も、蘇莫者すなわち蘇ってはならない人の霊を祀ったものではないか、とする。
そすれば、華麗な壁画で囲まれた狭く暗い世界で行われた朝賀儀式は、地上の生の世界と酷似したものではあったが、それと同じであってはならず、その識別のための証拠が必要であった。
それが玄武の顔と日月を故意に傷つけた理由ではないのか。
死の国が生の国に決して及ばないしるしとして、日も月も、死の国の日であり死の国の月であり、四神も死の国のものであるしるしとして、玄武の顔を剥落させ、ディグニティを欠落せしめたのではないか(p49)。
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