弓削皇子と額田王の相聞歌…梅原猛説(ⅳ)
弓削皇子天武天皇の第六の皇子とあるが、六番目に生まれた皇子ということではない。
梅原猛氏は、天武天皇の皇子皇女を次のようにクラス分けしている。
Aクラス
持統帝の生んだ子女。
草壁皇子1人。
Bクラス
持統帝の姉妹の生んだ子女。
大来皇女、大津皇子、長皇子、弓削皇子、舎人皇子。
皇子4人、皇女1人。には
Cクラス
豪族の生んだ子女。
新田部皇子、穂積皇子、但馬皇女、紀皇女、田形皇女。
皇子2人、皇女3人。
Dクラス
それ以下の氏族の生んだ子女。
十市皇女、高市皇子、忍壁皇子、磯城皇子、泊瀬部皇女、託基皇女。
皇子3人、皇女3人。
以上が『日本書紀』の天武即位時の記載における順序である。
上記では、弓削皇子は第四の皇子に位置づけられるはずであるが、『続日本紀』では数え方が異なり、上記のBクラスとCクラスが同じクラスとされ、年齢順となる。
つまり、②大津、③舎人、④長、⑤穂積、⑥弓削、⑦新田部となって、弓削は、第六の皇子ということになる。
Dクラスは、別扱いで、⑧高市、⑨忍壁、⑩磯城の順である。
この『日本書紀』と『続日本紀』における皇子の扱いの差異を、梅原氏は、皇族と貴族の身分差の縮小を意味するものと解釈している。
弓削皇子が、正史においては目だたない扱いであるのに比し、『万葉集』では存在感を示している(08年8月28日の項)。
弓削皇子と額田王の間の歌の応答について、李寧熙『天武と持統』文藝春秋(9010)に示された解釈については、既に触れた(08年8月22日の項、23日の項)が、李氏の解釈では、持統の頻回の吉野行幸を批判する意味ということになる。
額田王は、弓削皇子の父の天武天皇の妃だったが天智天皇の妃となったとされている。
天武天皇との間の子供である十市皇女は、天智天皇の子供の大友皇子の正妃となっている。
入り組んだ婚姻関係であるが、壬申の乱においては、父と戦う立場に立たされたことになる。
父に情報を流して、天武優位に貢献したともされるが、実際のところは不明と言わざるを得ない。
壬申の乱の後、父の天武の許に帰ったが、近江朝の実質的な皇后であって、同時に天武天皇の皇女でもあるというのは、かなり複雑な立場だったことが想像される。
天武7(678)年に急死しているが、まだ30歳前後だったと推測され、その死因についても謎めいたものがある。
十市皇女と大友皇子との間の子供が葛野王であり、持統10年の軽皇子立太子の御前会議での、弓削皇子と葛野王とのやりとりになる(08年8月18日の項)。
つまり、葛野王からすれば、額田王は祖母ということになる。
弓削皇子は額田王に、次の歌を贈っている。
弓削皇子の歌
吉野の宮に幸(イデマ)しし時、弓削皇子、額田王に贈与(オク)る歌一首
古尓恋流鳥鴨弓絃葉乃三井能上従鳴渡遊久 (2-111)
<訓>
古に恋ふる鳥かもゆづるはの 御井の上より鳴き渡り行く
<大意>
古を慕う鳥だろうか ゆずり葉の 御井の上から 鳴いて飛んでゆく
「古に恋ふる鳥」は、ほととぎすのことと解されている。「弓絃葉:ゆずり葉」は、新葉が出ると古葉が位置を譲る常緑樹である。
弓削皇子は、この歌に何を託したのか?
李氏の解釈の是非は分からないが、梅原氏の次のような解釈は自然である。
つまり、吉野において、弓削皇子は、天武の生きていた昔のことを考えており、心に憂愁を抱えていて、その憂愁をぶつける相手として、かつて父の妃であった額田王を選んだ。
額田王は、華やかな過去を持つが、それは既にはるか遠くの出来事であり、若き弓削皇子が、己の心を打ち明ける相手として相応しいだろう、と。
額田王の応えた歌は以下の通りである。
額田王、和へ奉る歌一首 大和の都より奉り入る
古尓恋良武鳥者霍公鳥蓋哉鳴之吾念流其騰 (2-112)
<訓>
古に恋ふらむ鳥はほととぎす けだしや鳴きし我が恋ふるごと
<大意>
古を慕うという鳥はほととぎすです おそらく鳴いたでしょう わたしが慕っているように
梅原氏は、二つのほととぎすが鳴き合っていると説明している。
つまり、弓削皇子が吉野で聞いたほととぎす、あるいは彼の心の中のほととぎすの鳴き声が、額田王の心に鳴り響いているほととぎすと共鳴しているということである。
そして、ほととぎすは不吉な鳥であり、ゆずり葉も無常を示す植物であるとする。
ほととぎすの鳴き声を自己の心に聞く者は詩人であるが、詩人であることは幸福なことより、不幸なことであるにちがいない、というのが梅原氏の解釈である。
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