文武朝は新王朝か?
ところで、草壁皇子を指す「日並知(ヒナミシ)皇子」という表現は、どういう背景を持っているのだろうか?
正史においては、『日本書紀』には日並知皇子の表記はなく、『続日本紀』の冒頭で突然に登場している。
小松崎文夫『皇子たちの鎮魂歌―万葉集の“虚”と“実”』新人物往来社(0403)によれば、日並知皇子の称号について、神野志隆光氏が以下のような用例型があることを示している。
A.日双(雙)斯皇子命……(万葉49)
B.日並皇子尊……(万葉110題詞、167題詞)、日並皇子(天平勝宝八歳六月廿一日東大寺献物帳(国家珍宝帳)
C.日並知皇子尊……(続紀文武即位前紀、元明即位前紀、元正即位前紀、天平元年二月甲戌条)、日並知皇子命(続紀慶雲四年四月庚辰条、天平宝字二年八月戊申条)、日並知皇太子(続紀慶雲四年七月壬子条)
D.日並所知皇子命……(万葉目録110、本朝月令所引右官吏記)、日並所知皇子(七大寺年表所引竜蓋寺伝記)
E.日並御宇東宮(栗原寺鑢盤銘)
『万葉集』の最初の用例であるA.についての神野志氏の説を、上掲書から引用する。
「日にあいならぶ」の意の「ヒナミ」に、過去の助動詞「シ」がついたものであって、これは、草壁皇子の皇子である軽皇子(文武)が、人びとに正統な皇位継承者として意識されはじめたころ、人麻呂が独自に歌に詠みこんだものと推定される。したがってAは正式な称号とはみなしがたい。これに対して、B「日並」とC[日並知」は、すでに称号もしくは諡号となっている。ことに注目しなければならないのは、続紀の統一的な表記とみられるC「日並知」であって、この表記の多くは、皇位継承に関する記事において、後継者の正統性を喚起する文脈のなかにあらわれる(後略)。
『続日本紀』において、文武帝の正統性を示す場合に、草壁皇子を示す言葉として「日並知」が定着していったということである。
どうして文武帝の正統性がそこまで強調されなければならないのか?
言い換えれば、強調しなければならないような事情があったということなのか?
つまり皇位継承について、何らかの問題があったのではないか、とも推測される。
とすれば、「衆議粉紜」だったという軽皇子の立太子の経緯が気になってくる。
なぜ、持統は高市皇子の死後、皇太子の問題を論議させたのか?
高市皇子の存命中は、皇太子問題を持ち出すことができなかったということだろうか?
高市皇子の長子の長屋王邸跡から出土した木簡に、長屋親王と書かれたものがあることから、高市は即位していたと考えるべきではないのか、とする説がある(08年2月7日の項、8日の項)。
もし、高市皇子が即位していて、その後継をめぐって、「衆議粉紜」だったとしたら?
『新唐書』に次の記事がある(http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun11-sintosho.htm)。
長安元年、其王文武立、改元曰太寶。
長安元年(701年)、その王の文武が立ち、改元して太宝という。
『日本書紀』によれば、文武天皇の即位は持統11(697)年である。
また、大宝元年は701年だから、改元年については、『新唐書』と『続日本紀』とが一致しているが、文武の即位年は『新唐書』と『日本書紀』にズレがある。
ところで、『新唐書』が「大宝と改元した」としているのは、どういう情報に基づいているのだろうか?
改元はその前にも元号があり、改めて新たな元号に替えたということであろう。
しかし、『日本書紀』と『続日本紀』には、大宝に改元したその前の元号について、何も記していない。
三月二十一日 対馬嶋が金を貢じた。そこで新しく元号をたてて、大宝元年とした。
「新しく元号をたて」ということは改元したということだろうか?
「九州年号」もしくは「古代逸年号」というものが存在することについては、以前に触れたことがある(08年1月7日の項)。
『新唐書』が「改元」と表記しているのは、「大宝」の前に元号があったという認識に基づいていると考えるべきだろう。
それは「九州年号」であったと考えるべきだろうか?
「九州年号」は大化6(700)年をもって消滅する。
そして701年以降は、大宝以降の元号群が連続する。
元号が王朝と一体的なものだとすれば、701年に王朝交代があったということだろうか?
つまり、文武は新王朝の創始者だったのか?
とすれば、「万世一系」の論理でこれらの事実を覆い隠すために、文武の正統性を強調しなければならなかったということだろうか?
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