「古今伝授」と猿丸大夫
柿花仄『帋灯(しとう)猿丸と道鏡』東京経済(0309)によれば、『大日本哥道極秘伝書』には、次のようにあるという。
(一)傳に曰喚子鳥とは孝謙天皇を申奉る也。其大意は孝謙天皇は女帝にて座ス也。其頃宮中に猿丸太夫と申者まします也。
(二)猿丸太夫も元明天皇の御にて座ス事明らか也。
柿花氏は、(一)については、「『喚子鳥』とは、女帝である『孝謙天皇』の別の呼び名(あざな)であること。孝謙天皇の御代の宮中に『猿丸太夫』が生きていたということ」であって、意味は明らかであるが、(二)の「御」の字をどう理解すればいいのか分からない、という。
柿花氏は、上田萬年編『大辞典』啓成社(大正6年版)を参照しつつ、「御=オホン」の読みを抽出し、「太夫」については、以下の解説を引用している。
……大夫 一人、タイフでは、八省の大輔(タイフ)と同じよみであるから、区別して、これは濁音にダイブとよむ。后宮一切の事務を統べ掌る役である。
大夫とは、令義解によれば……
柿花氏は、この解説から、大夫の任務の意味を捉え、以下のように解する。
猿丸は史上初の女性皇太子「阿部内親王(後の孝謙天皇)」の春宮(トウグウ)大夫か、或は、引き続いて「孝謙天皇」の后宮大夫を任ぜられていたのではないか。
もっとも孝謙は女帝で、しかも独身の天皇であったので、后宮大夫と称するのもおかしいのだが、適当な言葉が見つからないので、此処はご勘弁を願うが、〔孝謙付き大夫であったのでは……〕の示唆を、私は受けたのである。
阿部内親王の立太子は、天平10(738)年のことであった(08年7月1日の項)。
女性の立太子は初めてのことだから、周辺にはさまざまな見方があったであろう。
とすれば、阿倍内親王の春宮大夫は、きわめて重要な政治的な役職だったと考えられる。
猿丸大夫は、元明天皇の「御」であるという。
元明天皇は、天智天皇の第四皇女で、母は蘇我倉山田石川麻呂の女の姪娘(メイノイラツメ)である。阿閉皇女といい、持統天皇の異母妹ということになる(系図は、寺沢龍『飛鳥古京・藤原京・平城京の謎 』草思社(0305))。
草壁皇子の妃となり、軽皇子、氷高内親王、吉備内親王を生んだ。
軽皇子は、後の文武天皇、氷高内親王は後の元正天皇である。
まさに「華麗なる一族」である。
持統と元明は、天智の娘として異母姉妹であるが、阿閉皇女が草壁皇子の妃となったことにより、姑と嫁の関係にもなった。
推古・皇極(斉明)・持統は、皇后を経ての即位であるのに比し、元明は皇太子妃という履歴だった。
草壁皇子は、『日本書紀』によれば、持統3(689)年4月13日に薨去する。
しかし、その記述は以下だけで、持統の期待の子にしては余りに素気ない。
乙未皇太子草壁尊薨
草壁の逝去年齢や逝去の事情については、さまざまに推測されている(08年2月5日の項)。
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コメント
とても興味深く拝見しました。
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投稿: kawakatu | 2008年8月16日 (土) 09時31分