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2008年8月12日 (火)

藤原公任

定家が「百人一首」に撰んだ猿丸大夫は、藤原公任の「三十六人撰」にも撰ばれている。
公任は、康和3(966)年に生まれた。藤原道長と同年の誕生である。
2人は共に藤原忠平の曾孫で、お互いに補い合って共存した。
公任は文化面で、道長は政治の運営において、大きな力を発揮した。
この2人の下で、華やかな宮廷文化が開花した、ということができる。

『大鏡』に次のようなエピソードが記されている。
道長が大堰川に漢詩の舟、管絃の舟、和歌の舟を出し、それぞれの分野の名人を乗せた際、乗る舟を尋ねられた公任は和歌の舟を選び、「小倉山嵐の風の寒ければもみぢの錦きぬ人ぞなき」と詠んで賞賛された。
ところが公任は、漢詩の舟を選んでおけば、もっと名声が上がったはずだと悔やみ、道長に舟を選べと言われたときに、すべての分野で認められているとうぬぼれてしまったと述懐した。
三船の才ともいう。

つまり、公任は、漢詩にも和歌にも豊富な知識を有しており、それが『和漢朗詠集』の編纂ということになる。
朗詠するのに相応しい漢詩588句と和歌216首を撰んだものである。
1012年頃の成立とされるから、『古今和歌集』の成立からおよそ1世紀後のことである。

公任は、「百人一首」にも撰ばれている。

55 滝の音は絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ

この歌は、必ずしも公任の代表歌とはされていない。
しかし、「百人一首」に入れるということは、それなりの意味を持っているはずである。
定家は、なぜ、この歌を選んだのか?
柿花仄『帋灯(しとう)猿丸と道鏡』東京経済(0309)は、この事情を次のように推測している。

「瀧」の字を調べると、「袁水の名」とある。「袁(エン)」の音を持つ字は、袁、遠、猿……
「音」の字は、声・響・楽・伝言等の意味……
つまり、「滝の音」は、「猿の便り」「猿の伝言」と解することができる。

猿の声絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ

いささかこじつけが過ぎるような気がするが、そう解釈できないこともない、ということだうか。
定家は、「三十六人撰」で猿丸大夫の存在をめた公任を前提としつつ、この公任の歌を「百人一首」に撰歌することによって、猿丸大夫の存在証明としようとしたのではないか?
柿花氏は、そう推論する。

そして、もう一人、猿丸大夫に言及しているのが、『古今和歌集』仮名序の紀貫之である。

大友黒主之歌古猿丸大夫之次也

「次」の字は、歌のレベルが猿丸大夫の次だという解釈と、猿丸大夫の歌風を次いでいるという解釈が可能である。
大友黒主は、紀貫之が、「近き世にその名きこえたる人」として挙げた6人のうちの1人である。
6人とは、僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大友黒主で、いわゆる「六歌仙」である。
この中で、黒主だけが「百人一首」に撰ばれていない。
「百人一首」に、猿丸大夫が撰ばれて、大友黒主が撰ばれていないということは、定家は、黒主の歌のレベルは猿丸の次だと位置づけたのだろうか。

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