額田王が弓削皇子に応えた歌
弓削皇子に対して、額田王の応えた歌は以下の通りである。
(額田王、和へ奉る歌一首 大和の都より奉り入る)
古尓恋良武鳥者霍公鳥蓋哉鳴之吾念流其騰 (2-112)
<訓>
古に恋ふらむ鳥はほととぎす けだしや鳴きし我が恋ふるごと
<大意>
古を慕うという鳥はほととぎすです おそらく鳴いたでしょう わたしが慕っているように
<李氏の韓国語訓>
A:表詠み
「串」入れに
ダゲ(宮滝)詣りする
反逆よ
今こそ泣くや
アガ(子供)との恋で
B:裏詠み
「串」入れに
ダゲ(武)詣りする
逆入れよ
今こそ泣くや
我が恋のごとく
(注:下線は、二重詠み部分)
それぞれの李氏による大意は以下の通りである。
A:恋をしに宮滝に行くんですって。まったく反逆ものですよ。今こそ彼女もつらくて泣くことでしょう。まるで子供を恋しているようなもんですからね。
B:恋の行為をした「武」に逢いに行くんですって。逆入れするのでしょう。今こそ彼女の肉体も泣くのでしょうね。私の恋の時のように。
李氏の逐語的解説は割愛するが、李氏が導き出した内容は以下のようなことである。
①持統天皇は恋人に逢うため、吉野の宮滝に通っていること。
②その恋は「反逆行為」とされるべきものであること。
③恋の相手は「子供のよう」であること。
④恋人は、「武」の字、または「たけ」音の名を持つ人であること。
李氏は、軽皇子の「軽」は、韓国語では「ガル」で双子のことで、「軽」と呼ばれた人は、双子か「双子的」な二重のイメージを持った人で、たとえば韓国と日本の両方で「王」であった人を指した名前だという。
文武天皇も双子だったのではないか、という説もある。
確かに、『続日本紀』には、双子などの多胎児家族に対する支援措置の記事が多い。
また、古代日本における地名などの「軽」は、韓国古代国家の1つ「加羅(伽耶・韓と同)」から来日した人たちとの関連を示したものだともいう。
果たして、軽皇子は「軽」はどのような背景を持っているのか?
律令体制は、「大宝律令」によって完成したといわれる。WIKIPEDIA(08年7月28日最終更新)を見てみよう。
世紀後半以降、百済の滅亡など緊迫する東アジアの国際情勢の中で、倭国は中央集権化を進めることで、政権を安定させ、国家としての独立を保とうとした。そのため、近江令、飛鳥浄御原令を制定するなど、当時の政権は、唐・朝鮮半島の統治制度を参照しながら、王土王民思想に基づく国家づくりを進めていった。その集大成が大宝律令の完成であった。これにより、日本の律令制が成立したとされている。大宝律令による統治・支配は、当時の政権が支配していた領域(東北地方を除く本州、四国、九州の大部分)にほぼ一律的に及ぶこととなった。
同WIKIPEDAでは、「神野志隆光は『「日本」とは何か』(講談社現代新書、2005)で、大宝令公式令詔書式において初めて日本国号が制定されたとしている。」とある。
「大宝律令の施行者・文武天皇は、日本の歴史にとって、エポック・メーキングな人だった。
しかし、その実相は、深い霧に包まれている。
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