文武王=文武天皇説
文武天皇と同時代に、新羅に文武王という名前の王が存在した。
この名前の一致は、果たして偶然のことなのだろうか?
小林惠子氏の諸説は、いつも意表を衝く態のものであるが、文武天皇に関しても同様で、実は文武天皇と新羅の文武王は同一人物であるとする。
小林惠子『興亡古代史』文藝春秋(9810)を見てみよう。
百済が滅ぼされた翌六六一年六月、新羅では武烈王(金春秋)が死んで、反唐派の法敏(文武王)が即位する。
中略
『書紀』には同六八一(天武一○)年、二月に草壁が立太子したとある。そして六月五日条に新羅の客若弼を筑紫で接待したとある。「新羅本紀」では同年七月一日に文武王は死んだことになっているから、若弼は文武王の生死に関する情勢の報告に来たとみえるが、八月に帰国している。
文武王の死んだ同年同月同日、つまり天武一○年七月一日条に「朱雀が見えたとある。朱雀は五行思想でいう火徳の鳥で、新羅は火徳の国だが、文武王も火徳の人だったことは六八一年の文武王の墓碑銘から知られている。
この場合、「朱雀が見えた」とあるのは、次に説明するが、文武王が倭国に亡命したという暗示なのである。
中略
唐国の攻勢に耐えかねた文武王は、神文王を即位させ、みずからは死んだことにして倭国に亡命したと私は考えている。
中略
火葬でもなく、遺体も陵も存在しないとするならば、当時の情勢からみて、文武王は新羅を去って亡命したとするのが妥当である。
小林惠子説を援用しつつ、柿花仄氏は、中院通茂の『大日本哥道極秘伝書』に記された「傳に曰く、人丸は文武天皇の御子と云々。」の人麻呂と文武の年齢の矛盾について、次のような解釈をする。
①文武は新羅文武王だった(小林惠子説)
②文武は既に老人だった(諡号の祖父、治績、立太子の際の紛糾、老人への労わり施策等)
③文武は軽皇子の替玉だった
このうちの②の老人への労わり施策について、柿花氏は、『続日本紀』から次のような事項を抽出する(以下の文章は、宇治谷孟現代語訳『続日本紀〈上〉』講談社学術文庫(9206)による)。
・慶雲元年5月10日:高齢者(八十歳以上)と老人の病者に、それぞれ物を恵み与えた。
・慶雲元年7月19日:天皇は、詔を下して「京内の八十歳以上の高齢者全員に、物を恵み与えよ」と言われた。
・慶雲2年8月11日:老人・病人・やもめの男女・孤児・孤独の老人など、自活することのできない者には、程度に応じて物を恵み与えよ。
・慶雲2年10月26日:詔を下して、使者を五道に遣わし、高齢者・老人・病人・やもめの男女・孤児・独居老人に物を恵み与え、この年の調の半分を免除した。
柿花氏は、このような老人に対する労わりの施策は、年若い天皇には似合わない、とする。確かに高齢の天皇に相応しいものだろう。
文武天皇は、慶雲3年11月に病に陥り、母に譲位する気になったが、母(後の元明天皇)が謙譲の心で固辞し、慶雲4年6月、文武天皇は崩御した、と『続日本紀』の元明即位前紀にある。
没年齢を25歳とすると、24歳で病に陥ったことになるので、病弱だったというイメージになる。それで、祖母・持統の後見が必要で、太上天皇制が導入された、という理解に結びつく。
しかし、78歳没説に従えば、病に陥ったのは自然現象ともいえる。
②について、柿花氏は次のようにいう。
軽皇子と文武王との関係については次のようなケースが考えられる。
a.実際に草壁の子「軽皇子」は存在した。
b.ある段階で「文武王」と入れ替わった。
c.存在すらなく、まったく新しい戸籍が作られた。
「a」と「b」は両立し得るから、3つ並列に並べるべきではないと思われるが、柿花氏は、「b」案を採るとする。
つまり、「軽皇子」は実際にいて、即位を機に実権を文武王に移し、持統と文武王との二人三脚が始まった。
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