2年目を迎えて
「知れば知るほど、知らないことが増える」というパラドックスのような現象がある。
一般に、新しく何かを知るということは、未知の部分を減らす、というように考えられるだろう。
しかし、「知らない」ということを意識できるのは、知っていることの限界が意識されているからである。
世の中の事象を、際限のない大海に例えれば、知っていることというのは、その大海に浮かぶ小島に過ぎない。
われわれが「未知」であることを意識できるのは、その小島の海岸線ではないか。
「既知」の外側には広大な「未知」の海が広がっているのだが、それを意識の対象とすることは難しい。
全く知らないことについて、「何でもいいから分からないことは質問して」と言われても、「何を質問していいか分からない」というような体験は、多くの人が共通に持っていることだろう。
万有引力や微積分法を発見し、古典力学を完成したニュートンは、いうまでもなく人類史上の至宝ともいうべき知識人である。
そのニュートンですら(であればこそ)、次のような言葉を残している。
I was like a boy playing on the sea-shore, and diverting myself now and then finding a smoother pebble or a prettier shell than ordinary, whilst the great ocean of truth lay undiscoverd before me.
発見されないままで拡がっている真理の大海、それを前にして、私は浜辺で、より美しい貝殻や、より滑らかな小石をあちこちさがして楽しんでいる子供のようなものだ。
blogs.yahoo.co.jp/tobetobetigers/52618191.html
ニュートンのこの言葉は、「より多く知っている人は、自分がいかに知らないかということを知っている」という真理を示した言葉である。
自分が知らないことがある、という自覚(=問題意識)こそ、探究心を動かすエンジンということでもあろう。
ところで、新しく何かについて知るということは、この既知の小島の領域が拡大することである(図A→図B)。
つまり島の面積が広がるわけであるが、そうすると、当然海岸線も延伸することになる。
つまり、「未知」を意識するゾーンが拡大するというわけで、「知れば知るほど、知らないことが増える」というのは、こういうようなメカニズムではないかと考えられる。
つまり、好奇心は自己増殖するということだ。
その結果として、部屋に情報源(主として書籍)が氾濫し、家族からは白い目を向けられる。
このブログを始めてから、ちょうど満1年間が過ぎた。
当初は、書く材料が続くだろうかということが心配だった。
私の場合、新しく仕入れた認識を書きとどめておこう、というようなことが多い。
言ってみれば、まあどうしても世の中に広く訴求しようということがあるわけでもないので、書くことが無ければ書かなければいいのだけの話でもある。
それにしても有り難いことに、続けてきた結果、アクセス数が少しずつではあるが増えてきている。
もちろん、まだまだあまたあるブログの中で、ロングテールの端に位置していることに変わりはないが。
新しく仕入れた認識とは、要するに、「未知」だったことが「既知」に変わったということである。
そして、1年間経ってみて実感するのは、上記のパラドックスである。
つまり、私にとって「未知」を意識することが急速に増えている、という感覚である。
「知れば知るほど、知らないことが増える」ということが実感だとすれば、予感としては、「量の質への転化」が起こるのではないか、という期待感がある。
1つの情報があたかも自律的に運動するかのように、他の情報と不思議な繋がり方をする。
つまり、自分としてはまったく関連性があると思っていなかった2つの事象が、結果的に結びついてくることがある。
例えば、「多賀城炎上(07年9月29日の項)」と「猿丸大夫の正体(08年8月7日の項」)とは、もともと全く別のベクトルの関心事だった。
情報は情報と結びつくことによって、新しい情報を生み出すといわれる。
そして、上記の実感と予感を合わせたことかも知れないが、改めて、事象は多面的に見る必要がある、ということを感じている。
「呰麻呂反乱の真相(07年10月3日の項)」においては、藤原百川は権謀術策の人のように思える。
しかし、「猿丸大夫の正体(08年8月7日の項」においては、死の直前にかつて奥州の地で契った女房と生まれた子供を貴族に列するように取り計らう。
もちろんエゴでもあるのだろうが、まあ人情の現れと見るべきだろう。
百川の人物像も、もっと立体的に捉えなければならないということだ。
新しい「量の質への転化」を密かに楽しみにしている。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 藤井太洋『東京の子』/私撰アンソロジー(56)(2019.04.07)
- 暫時お休みします(2019.03.24)
- ココログの障害とその説明(2019.03.21)
- スキャンダラスな東京五輪/安部政権の命運(94)(2019.03.17)
- 野党は小異を捨てて大同団結すべし/安部政権の命運(84)(2019.03.05)
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 藤井太洋『東京の子』/私撰アンソロジー(56)(2019.04.07)
- 内閣の番犬・横畠内閣法制局長官/人間の理解(24)(2019.03.13)
- 日本文学への深い愛・ドナルドキーン/追悼(138)(2019.02.24)
- 秀才かつクリエイティブ・堺屋太一/追悼(137)(2019.02.11)
- 自然と命の画家・堀文子/追悼(136)(2019.02.09)
「思考技術」カテゴリの記事
- 際立つNHKの阿諛追従/安部政権の命運(93)(2019.03.16)
- 安倍トモ百田尚樹の『日本国紀』/安部政権の命運(95)(2019.03.18)
- 平成史の汚点としての森友事件/安部政権の命運(92)(2019.03.15)
- 横畠内閣法制局長官の不遜/安部政権の命運(91)(2019.03.12)
- 安倍首相の「法の支配」認識/安部政権の命運(89)(2019.03.10)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
お誕生日おめでとうございます。
「知れば知るほど、知らないことが増える」確かに。
探究心の方向は様々あれど、やはりいくつになっても失いたくはありません。生涯探求です。
投稿: 池ちゃん | 2008年8月 8日 (金) 13時58分
暑い日が続きますねぇ。
ご愛読有り難うございます。
貴重な(or希少な)読者です。
そのうちビールでも……、と思うけど、そっち方面はダメだしねぇ。
「知れば知るほど……」は私の持論だけど、説明すると皆さん納得のようですね。
投稿: 管理人 | 2008年8月 8日 (金) 14時22分