「百人一首」の作風
宮内庁書陵部蔵の『百人一首抄応永十三年写シ』の序文に、次のようにある(井上宗雄『小倉百人一首』)。
新古今の撰は定家の心に適わなかったが、それは新古今歌風が「ひとへに花をもととして実を忘れたる集」だからであり、その後の新勅撰集と百人一首が同じ歌風で、実を宗として花を少し兼ねたものなのだ。
『新古今集』は、言葉の華麗さによって妖艶な世界を構築しようという歌風であったが、それは、教養高く、詩人的才能のあるエリートが作るものであって、その基盤として、生き生きとしたサロンを必要とした。
承久の乱によって後鳥羽院政が崩壊すると、新古今的土壌も失われ、武士の力が表層に現れてくるようになった。
老境に入った定家も、華麗な言葉の華やかさよりも、味わいや情調の深い歌を好むようになった。
『新勅撰集』や「百人一首」は、定家のそのような好尚を反映したものであった。
「百人一首」には、『新古今集』の歌が14首入っているが、「春の夜の夢の浮橋とだえして……」のような、新古今的名歌は採られていない。
ちなみに、『新古今集』から採られているのは、次のような歌である。
87 村雨の露もまだひぬ槙の葉に 霧たちのぼる秋の夕暮
94 み吉野の山の秋風さよふけて ふるさと寒く衣うつなり
いずれも寂寥感を湛えた秋の歌である。
猿丸大夫の次の歌も、まさにこのような方向性にある歌といえよう。
5 奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞く時ぞ秋は悲しき
このような、一首の「哀れさ」の感覚は、日本的(あるいは東洋的)美意識の源流をなしているように思われる。「寂び」の美意識(08年7月17日の項)である。
「小倉百人一首」は、日本的美意識を流麗な調べで表現した歌集ということができるが、鎌倉時代においては、歌をたしなむ人は古典に通暁していて、ことさら「百人一首」が尊重されたというわけでもなかったという。
時代が下るに連れて、作歌人口が増大すると、古典の教養に通じている人だけでなくなり、指導のためのテキストとして、「百人一首」の利用価値が高まった。
歌の指導者たちによって、多くの注釈書が作られ、室町後期には、宗祇らの連歌師によって広められた。
カルタとして広く普及したのは江戸時代に入ってからである。
『枕草子』には、中宮定子が、女房たちを集めて、『古今集』の上の句を読み、下の句をつける場面が描かれている(白州正子『王朝びとの生活の歌』/宮柊二『小倉百人一首』学習研究社(7911)所収)。
王朝びとにとっては、歌を詠むことは生活の一部であって、古歌にも通じていることが必須の条件だった。
源氏物語「夕顔」の一節である。
光源氏がはじめて夕顔の宿をおとずれる場面で、青々とした蔦かずらが板塀に生い茂っている中に、白い花が明るく咲き乱れている。
源氏は、「遠方(オチカタ)人に物申す」と呟くが、それは『古今集』の中の次の歌の一節である。
うちわたすをちかた人に物申すわれそのそこに白く咲けるはなにの花ぞも
傍らにひかえていた随身が、「あの白い花は夕顔と申します」と教える。
つまり、随身まで、打てば響くような教養を身につけていたことが分かる。
美意識や感覚などは、先天的に存在するものではなく、学習することによって理解していくものであろう。
例えば、「寂び」という感覚を好ましいものとする意識が、太古の段階からあったわけではない。
古歌を覚えることは、知識の獲得であると共に、感性の形成という意味でも重要なことだったのだろう。
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