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2008年7月16日 (水)

風天の詩学…⑤「秘すれば花」という生き方

森英介『風天―渥美清のうた』大空出版(0807)によれば、渥美清さんは、「隠れる」ことの名人だった、という(小沢昭一談)。
見せることを生業とする俳優といえども(だからこそか?)、人前から隠れていたい、と思うときがあるだろう。
渥美清あるいは車寅次郎というIDは強烈である。その分、どこかでIDを消しさった時間を過ごしたいと思うのではないか?

渥美さんほど人々に顔と名前を知られた存在はないから、街に出れば、いつも多くの目が注がれていただろう。
だからこそ、1人になれる時間が大事だった。
結婚してからも、代官山に1人で住むアパートを持っていたという。自宅にも人を寄せつけなかったが、そのプライベートな城はまったく秘匿されていた。
また、外のことは一切家に持ち込まなかった、というのが長男健太郎氏の証言である。
仕事の話は絶対にしないし、台本を持ち帰るなんてこともなかったという。

芸名渥美清、役名車寅次郎、俳号風天、本名田所康雄といういわゆるマルチ人間だったわけであるが、それらの関係はどう見るべきか?
山田洋次監督は、「入れ子」の構造になっていたのだ、という。
車寅次郎の中に渥美清が入っていて、その中に風天がいて、さらにその中に田所康雄がいた。その田所康雄はいち早く亡くなってしまったけれど、周りの風天、車寅次郎、渥美清は、映画の観客や俳句を読む人にとっては、生きている……。

山田監督は、「田所康雄はそーっと消える、それが理想だ」と渥美さんが奥さんに言っていたと話している。
いつの間にかいなくなって、町で、「渥美清っていたな、どうしたんだって?」「あれ、一昨年死んだよ」「ああそうか」というような消え方が理想だ、ということである。
しかし、人気者ゆえ、そうは行きそうもない。
そこで、マスコミに知らせる前に、骨にしておくように、と奥さんに言い置いて亡くなり、奥さんもそのとおりにした。

このような話を聞くと(読むと)、「秘すれば花」という言葉を思い浮かべる。
能の大成者である世阿弥の『風姿花伝 』岩波文庫(5801)の中の言葉である。
同書は能の芸の上達論を説いたもので、芸のあるべき姿を「花」と表現した。

能は、枝葉も少なく、老木になるまで、花は散らで残しなり。これ、眼のあたり、老骨に残りし花の証拠なり

立原正秋さんは、日本的美の追求者として多くのファンをもち、死後30年近くを経ながら、今なお墓前への献花が絶えないという。
その立原さんの、美に関する随筆を集めた『雪舞い』世界文化社(9509)に、「秘すれば花」という一文が収載されている。
立原さんは、次のように言っている。

「秘すれば花」この表現はきわめて圧縮されている。自己顕示欲のつよい者にはこの言葉は無縁である。
私は『花伝』一巻をげんに小説作法の手本として用いているが、私がもっとも感心するのは、この書が単なる理論家からうまれた書ではなく、能役者である人が書いた点である。自作自演の上、さらに深い芸術論を展開しているのが世阿弥の生涯である。

『風姿花伝』は能の上達論の書ではあるが、それは芸という一種の暗黙知の伝承の方法論とみることができる。
それを喝破して、プランニングやマーケティングなどの、ソフトテクノロジーの伝承をするための参考にできないか、と考えたのが元電通のマーケッターだった柴田亮介さんである。
柴田さんは、1943(昭和18)年生まれだから、団塊の世代の少し前に位置している。

柴田さんのいうソフトテクノロジーは、形式知化するのが難しい世界である。
団塊の世代の定年退職の始まる2007年は、技術の伝承において問題が生じてくるのではないかという、いわゆる「2007年問題」が取り沙汰された年であった(07年11月20日の項21日の項)。
国際技能五輪が22年ぶりに日本(沼津)で開催されたことなどもあって(07年11月19日の項)それなりにスキルの伝承について論じられる機会があった。
「2007問題」は、主としてコンピュータのソフトウェアに対する関心から生まれた問題意識であるが、よりソフトな世界であるプランニングやマーケティングの世界では、問題意識すら希薄だともいえる。

これをどう体系化し、後の世代に伝えていくか、ということは一部では重要な課題として認識されており、例えば、東京ディズニーランドの生みの親だった長谷川芳郎さん(『魔法の国のデザイン-東京ディズニーランドが拓く新時代』日本経済新聞社(8411)などの著書がある)もその1人だった。
長谷川さんは、電通のPR局長から東京ディズニーランドのオープンのための諸作業を指揮した人で、柴田さんの先輩筋にあたる。

ソフトテクノロジーの伝承の方法論として、『風姿花伝』が参考になるのではないか、というのが柴田さんの考えであった(『わざの伝承―ビジネス技術 』日外アソシエーツ(0705))。
残念ながら、柴田さんは先ごろ、志半ばで亡くなったと聞いた。
ソフトテクノロジーの形式知化というのは、本来的な矛盾ではあるが、まだまだやれるべき課題は少なくないと思う。

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