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2008年7月19日 (土)

旧長銀粉飾決算事件

18日に、日本長期信用銀行(長銀/現・新生銀行)の粉飾決算事件に対する最高裁の判決が下された。
大野木克信元頭取ら旧経営陣3人は、いずれも無罪を言い渡され、無罪が確定したことになる。
長銀が破綻したのは、1998(平成10)年10月だから、およそ10年間大山鳴動して、結果的には一匹の鼠も居なかったわけだ。

破綻時の債務超過額は、約2兆6535億円といわれる。といっても、どのくらいの金額か見当もつきにくいが、1万円札100枚(=100万円)で1cmの厚みとすれば、2,653,500百万円/(百万円/1cm)=26,535m=26.5kmである。
つまり、1万円札の厚みが富士山の7倍程度に積み上がる金額である。
あるいは、1万円札1枚の重さは約1gというから、1000枚=1000万円で1kgであり、1億円は10kgということになる。
2兆6535億円は、265,350kg=265tの重さということになり、15tを積載する大型トラックに満載して約18台分である。
いずれにしろ、やはりピンと来ないのではあるが、とてつもない巨額であることは間違いない。

さて、この経営責任をどう考えるべきか?
この結果に対して、誰も責任がない、ということではないだろう。また、長銀という会社全体の責任なのだ、ということであれば、それこそ「全体責任は無責任」である。
とすれば、特定された誰かの責任を問う、ということになる。
大野木氏らは、破綻時の経営責任者であった。
だから、当面の責任者であることは免れ得ない。
しかし、破綻に至るまでにはプロセスがあるのであり、それを最終ランナーだけの責に負わせるべきかは疑問がある。

本案件を概観してみよう。
日本長期信用銀行は、1952(昭和27)年、時の大蔵大臣池田勇人(後に総理大臣)の肝いりで設立された一種の国策銀行である。
企業の設備投資資金などの需要をまかなうため、債券を売って長期の産業用資金を調達することを目的とする銀行だった(共同通信社社会部編『崩壊連鎖―長銀・日債銀粉飾決算事件』共同通信社(9912)。
長銀は名前の通り長期資金の供給源として機能し、短期資金は普通の銀行が行なう、という棲み分けが想定されていた。

長銀の設立は、1952(昭和27)年12月1日で、行員230人の7~8割が、日本勧業銀行からの移籍者だった。
その中に、後に「長銀のドン」と呼ばれることになる杉浦敏介氏もいた。
戦後復興が一段落し、自立的な経済発展を目指す日本において、産業発展のためには長期的な資金が必要であった。
その需要を満たすための金融機関が必要であり、その役割を担うのが長銀だった。

旧長銀には、優秀な人材が集まった。
日本のマクロな経済政策に関与し、しかも官僚であることを是としない人間。
私は、官僚制度全般を非とするような気はないし、例えば財務省の人たちなどは、本当に昼夜を分かたず仕事をしていると思う。
しかし、「居酒屋タクシー」などの現実に見られるように、「官」と「民」との間にある種のボーダーがあって、とても庶民感覚では理解し難いような意識があることも事実である。
その事実を感じた上で、「官」を選ばないで「官」に近い仕事をしたいと考える人間もいる。

そのような人の受け皿の1つが、長銀だったのではないだろうか。
私も、融資先担当者という立場で、長銀と係わったことがある。その頃、私が所属していた企業は、新興の将来性の期待されるベンチャー企業だった。
私自身がそういう演出を意識的に行なっていたということもあるが、時代としても、ベンチャーに対する期待が大きかった。
当時の長銀の担当者は、「是非借り入れて欲しい」というスタンスだった。

その時の雑談の中で印象的なことがある。
それは旧長銀の中の人間関係について、話をしていた時だった。私自身、直接あるいは間接に存じ上げている人が何人かおり、そういう人たちの近況等を話している時に、「あの人は○○年だから……」というような表現が、自然な形で出てきたのだった。
○○年というのは、卒業(=入行)年次のことであり、特段のコメントがない限り、○○年というのは東京大学の卒業年次を意味していた。

そのときは、「さすがに長銀!」と思う一方で、そんな官僚的な体質で、この銀行は大丈夫かな、というような余計な心配も心を過ぎったりした。
敗戦から立ち直り、戦勝先進国にキャッチアップする段階では、旧長銀は大きな役割を果たした。
しかし、経済が成熟化した段階を迎えると、長期の事業資金は、次第に証券市場からの直接調達にシフトしていく。そういう中で、長期信用銀行の存在意義はどこにあるのか?
「日本長期信用銀行という企業をどう性格づけるべきか?」長銀内部でも論争があったようである。
その1つの選択肢が、新興ベンチャー企業に対する融資の拡大である。

私が所属していた企業に対する融資は、金額的にもそれほど大きなものではなく(と言っても、現時点で中小企業に対する融資と考えれば、相当の巨額ではある)、さほどリスクを伴うものでもなかったと思う。
しかし、企業は外部に対して競争していると同時に、内部的にも常に競争をしている。
銀行の場合には、いかにして融資残高を拡大するか、ということが1つの指標となる。
時は、いわゆるバブル時である。

新興のリゾート開発等に対する融資が積極的に行なわれた。
その当時使われた言葉が「プロジェクト・ファイナンス」である。担保物件の査定の範囲内という基準ではなく、そのプロジェクトが生み出す将来的な果実を判断して融資する。
それはまさに、産業振興を使命とする銀行のあるべき姿のように思われた。
問題は、プロジェクトが生み出すであろう果実を、いかに適正に評価し得るか、である。
しかし、その当時の状況からして、それがいささか甘くなってしまったことは、咎められるべきことではないと思う。

問題は、その額が、結果として余りに巨大なものとなってしまったことである。
旧長銀の融資案件のかなりの部分を占めたのが、海外リゾートを展開する計画を持っていた企業への融資であった。
文字通り、ドリームプランだった。
「南太平洋でのんびりしたい」ということは、多くの人が共有する夢だっただろう。
私もその一端を垣間見たことがある。プロジェクト自体は、魅力的なものだった。
しかも、ドン=杉浦敏介氏がお墨付きを出していた。融資残高は、雪だるまが転がるように膨れ上がっていった。

それが、1万円札を富士山の7倍もの高さにまで達するような債務超過をもたらしたのであった。
いわゆる不良債権の山である。「プロジェクト・ファイナンス」という本来あるべき姿が、結果として大きなマイナスを招くことになった。
結果論ということもできるが、誰かが責任を負うべきではないのか?

最高裁の判決は、争われた論点に関して、旧経営陣の無罪を認めたものだった。
私自身も、経営の最終ランナーとしての破綻時の経営者の責任を問うことについては、大いなる違和感を覚えていた。
従って、大野木氏らが「無罪」と判断されたことについて、異議申し立てをする気はない。
むしろ、大野木氏らの巡り合せに同情したいくらいである。
大野木氏と、新生銀行の社長として招聘された八城政基氏とは、ほとんど同類の人であって、立場が入れ替わっていたとしても、結果は余り大きな差異はないのではないかと思う。

しかし、誰かの責任は問われるべきであろう。
時効という問題があるのだろうから、法律論は別としてもいい。
長銀破綻の真相や経緯、あるいは新生銀行への転生の経緯は、やはり明確にしておくべきではないだろうか。

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