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2008年7月15日 (火)

風天の詩学…④「句会」という学校

物理学に「場」という概念がある。
物体をとりまく空間で、重力や電磁力が他の物体におよんでいる領域のことである。
重力や電磁力は離れた場所で作用しているようにみえる。電子や陽子などの荷電粒子は、他の荷電粒子と直接接触しないのに力をおよぼしている。荷電粒子は、「場」の源で、荷電粒子間に働く力は、一方がつくる場と他方の電荷との相互作用と考えられる。
場がおよぼす強さと方向は力線で表現される。力線は力が強く働く場の源の近くでは密で、弱い遠方では疎である。
荷電粒子のおよぼす電磁場の強さは、電荷に比例し、距離の2乗に反比例する。

このような「場」の概念を、企業に取り入れ、マネジメントの仕組みを考察したのが、伊丹敬之一橋大学名誉教授である(伊丹敬之『場のマネジメント』NTT出版(9902)、『場の論理とマネジメント』東洋経済新報社(0512))。伊丹さんは、「場」において、人は他の人と出会い、相互に影響を及ぼし合う。「場」とは、人々の間の情報的相互作用の容れものである、という。
場において、人々はさまざまな様式(言葉、文書、顔の表情・仕草、声のトーン、語られぬ言葉、暗黙の了解……)を通じて、情報を交換し合い、刺激し合う。

青春期の交友がとりわけ重要なのも、このような場が濃密に、しかも継続的に存在しているからである(08年5月27日の項28日の項)。
そして、青春期ならずとも、継続的な「場」が存在すれば、その人の考え方や生き方に大きな影響を与える。
それは、一種の「学びの場=学校」の機能を果たす。
私は未だ経験したことがないが、「句会」というものもどうやらそういう性格を持っているらしい。
「話の特集句会」のメンバーだった永六輔さん、小沢昭一さんらが結成した句会に、「東京やなぎ句会」というものがある。

1969年に結成され、現在もなお継続中である。同会編『友あり駄句あり三十年』日本経済新聞社(9903)という快著は、その「三十年史」である。
落語家の入船亭扇橋師匠を宗匠とし、永六輔、大西信行、小沢昭一、桂米朝、加藤武、永井啓夫、柳家小三治、矢野誠一の各氏がメンバーである。既に故人となられたメンバーとして、江國滋、神吉拓郎、三田純市という名前がある。まさに錚々たる顔ぶれと言えるだろう。
江國滋さんについては、名著『俳句とあそぶ法』朝日新聞社(8402)(朝日文庫版(8701)によって、俳句の基本を学んだ(08年11月27日の項28日の項29日の項30日の項12月4日の項6日の項)。

その江國さんが、上掲書の中で「私の学校」題する一文を載せている。「小説新潮85年12月号」に掲載されたものの再録である。
85年12月号だから、かれこれ初回からすると17年ほど経った頃の文章である。
「私の学校」の意味は、もちろん「俳句の研鑽練磨の場」ということではなく、俳句よりももっと大きなものを教わり続けた、ということだ。
どんなことか?

光石こと扇橋さんには、円満と包容力というものを教わった。変哲こと小沢昭一さんには、人間のやさしさを教わった。阿吽こと加藤武さんには、誠実ということを教わった。余沙こと永井啓夫さんには、不言実行の大切さを教わった。六丁目こと永六輔さんには、好奇心とバイタリティというものを教わった。尊鬼こと神吉拓郎さんには、男の美学を教わった。徳三郎こと矢野誠一さんには、ユーモア、それも情報化時代のユーモアを教わった。土茶こと柳家小三治さんには、仏頂面の底の心のぬくもりを教わった。獏十こと大西信行さんには、毒舌の効用を教わった。八十八こと桂米朝さんには、常識というものを教わった。道頓こと三田純市さんには、非常識というものを教わった。

何とぜいたくな「学校」なのだろう、と思う。当然のことながら、江國さんの「教わる能力」というものが大いに係わっているのだけれど。
こういう句会のような「場」では、それぞれが教える人であり、教えられる人なのだろう。

創造とは新しい組み合わせだ、ということがよく言われる。
俳句を、上・中・下の3句の組み合わせと割り切れば、俳句の創作とは、この3句の新しい組み合わせを、いかにしてつくり出すか、ということになるだろう。
語彙はもちろん有限だから、組み合わせの数も有限ではあるが、実際の人の持ち時間からすれば、無限の組み合わせということができる。

異質なものが出会うことによって、今までにない新しいものが誕生する。
東京やなぎ句会などはその代表例だろうが、個性と才能の豊かな人たちの集まりは、新しい創造の「場」として機能する。
渥美清さんは、「話の特集句会」や「アエラ句会」に熱心に参加していたらしい。
句会のこのような魅力に惹き付けられたのではなかろうか。

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