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2008年7月17日 (木)

風天の詩学…⑥「寂び」という美意識

「話の特集句会」における渥美さんの句友の声優・白石冬美さんは、次のように言っている。

私も単独生活が長いですが、自分でカギを開ける部屋にいそいそと帰るのは、1人がいちばんホッとするから。孤独とは一人の王国、孤独と引き換えの自由がある。渥美さんの句には寂しさ、哀しさの持つ一人のステキさを感じます。一人は必ずしも寂しくない。渥美さんは決して寂しくはなかったと思います。

森英介『風天―渥美清のうた』大空出版(0807)に次のような一節がある。

霜ふんでマスクの中で唄うたう
月ふんで三番目まで歌う帰り道
行く年しかたないねていよう
冬の朝ひとり言いって着がえてる
ただひとり風の音聞く大晦日
夢で会うふるさとの人みな若く
たけのこの向う墓あり藪しずか

風天句に難しい言葉は一つもなく句意も明快。分類が難しいが、心に響く句をここに集めてみた。どの句にも通底するのは孤独感のにじむ静かな哀愁である。

上掲書では、風天句によく出てくるフレーズとして、以下を挙げている。

いつだって/誰もいない/どこへゆく/しかたない/これからどうする/あっけなく/ぽつんと……

人は1人では生きられない。しかし、1人になりたい時間があることも確かである。
本人が寂しかったかどうかは別として、風天句の特徴の一つに「寂しさ」の感覚があることは確かなように思う。
俳句の世界を表現する言葉として、「わび」とか「さび」ということが言われる。
私にそれを解説する能力はないが、それぞれ「侘しさ」「寂しさ」に由来する言葉だろう。

小西甚一『日本文藝の詩学-分析批評の試みとして』みすず書房(9811)に、『「さび」の系譜』という文章が収載されている。
小西さんは昨年亡くなられたが、受験参考書として書かれた『古文研究法』は、多くのファンを持つ受験参考書の枠を超えたロングセラーである。

小西さんの『「さび」の系譜』を大胆に要約してみる。

『全唐詩』を通覧してみると、王維の頃から、主観的な心情ではなく、景色を対象とする描写型の詩句に「寂」の字が出てくるようになる。
そして、それは「厭わしい情景」として扱われるのでなく、共感できる趣の景色として、そのなかに一種の「美」を認める態度になってくることが特徴である。
和歌のなかで「さびし」とか「さぶ」とかの語が用いられるときも、他から疎外された孤独感をあらわすのであって、その点、漢語の「寂寞」や「寂寥」と同じことである。

唐詩や和歌における「寂」ないし「さびし」「さびたり」には、とりわけ「空」の理を中心とする仏教という共通因子が存在している。
王維は著名な仏教信者であり、平安時代以降、中世における精神的な拠りどころは仏教だった。
以下は、結論部分の引用である。

「寂」ないし「さびし」「さびたり」をめぐって唐詩から芭蕉の句まで見てくると、その基底には仏教的な「静慮」の流れがあり、起伏を繰り返しながらも、次第に高度な描写型の表現へと進んでいったことがわかる。しかし、そのなかでも、禅寂的な「さび」をきわめたあと、もういちど日常意識の「さびし」との関わりにおいて永遠に新しい「人間の詩」をうち建てようとしたのは、芭蕉ひとりだと思われる。このような芭蕉晩年の志向は、親近する弟子たちにさえもよく理解されなかったらしい。

この道や行く人なしに秋の暮

この句には、ひとり高悟の道を行く芭蕉の「さびしさ」がこめられている。芭蕉の志向は狭義の「さび」を去って、もっともっと広くはるかな詩の「枯れ野」を、ひとり駆けめぐっていたのである。

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