猿丸大夫
猿丸大夫の名前は、百人一首を通じて多くの人が馴染みがあるだろう。
おくやまにもみぢ踏み分け鳴く鹿の 声聞くときぞ秋はかなしき
百人一首はどういう順番で並べられているのだろうか?
冒頭に、天智天皇があり、次が持統天皇である。
そして柿本人磨、山部(辺)赤人が続く。
人磨と赤人は、『万葉集』の時代において、「山柿の門」と並び称された歌人である。
『万葉集』巻17-3969の題詞に、次のようにある。
姑洗(ヤヨヒ)二日、掾大伴宿禰池主更に贈れる歌一首並に短歌
含弘の徳、恩を蓬体に垂れ、不貲の思、陋心を報慰す。戴ち末眷を荷ひて、喩ふる所に堪ふること無し。但、稚き時、遊芸の庭に渉らざりしを以ちて、横翰の藻おのづから彫虫に乏しく、幼年いまだ山柿の門に逕らずして、裁歌の趣、詞を叢林に失ふ。ここに、藤以ちて錦に続ぐ言を辱くし、更に石将ちて瓊に問ふる詠を題す。因よりこれ俗愚、癖を懐きて黙止をること能はず。よりて数行を捧げて式ちて嗤笑に酬ゆ。その詞に曰く大君の 任のまにまに 級離る 越を治めに 出でて来し 丈夫吾すら 世の中の常し無ければ うちなびき……
この「山柿」とは、山部赤人と柿本人磨だというのが定説である。つまり、家持は、山柿=人磨と赤人を、歌の道において目指すべき目標として位置づけていたということになる。
その山柿に次いで、5番目が猿丸大夫であり、猿丸大夫の次が、大伴家持である。
猿丸大夫の位置は、百人の中でも最高級ということになる。
しかし、猿丸大夫については、宗左近『鑑賞百人一首』深夜叢書社(0012)は、以下のように説明している。
猿丸大夫は、伝まったく不詳。「古今集真名序」に、「大伴黒主之歌、古ノ猿丸大夫ノ次ナリ」とあるのは有名だが、そこにも、また、どの勅撰集にも猿丸大夫の歌は見えていない。
井沢元彦『猿丸幻視行』講談社文庫(8308)には、猿丸大夫について、次のような解説がある。
三十六歌仙(一条天皇の時、藤原公任が選んだという)のひとりで、元明天皇のころの人といい、元慶年間(877 ~885)のひとともいうが、生没年伝記ともに不詳。天智天皇の皇子施基皇子とか、聖徳太子の孫弓削王の別名とか諸説があるが、伝承上の人物とする説が強い。その作品も『猿丸大夫集』にあつめられている歌はほとんど読人知らずのものばかりであり、勅撰集にも一首もはいっていない。猿丸大夫の名は『古今和歌集』真名序にみえ、鴨長明『方丈記』には近江の田上川にその墓があると記されているがはっきりしない。長野や富山、神戸および京都の周辺には、猿丸の子孫とか屋敷跡とか称するものがある。
『猿丸幻視行』は、猿丸大夫の百人一首の歌を暗号と見立て、若き日(國学院大学生)の折口信夫がそれを解読するという趣向でる。
万葉仮名で書くと、以下のようになる。
奥山丹黄葉踏別鳴鹿之音聆時曾秋者金敷
この歌は何を意味しているのか?
推理小説における謎解きについては、伏せておくのがマナーというべきものであろう。
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